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足並みを揃えることの後ろにあるもの
ウォーキング中に見上げた空の写真。夏を感じる写真。暑い週末だった。学校完全再開が明日から始まる。そのためにも、物理的にも精神的にも準備にあてた週末だった。
学校(学年)で足並みをそろえることの是非がよく話題に上がっている。
このコロナ禍では、さらにその頻度も上がった。
ただ、揃えることの中身を問わずして、足並みを揃えることの是非が問われているような気がしている。「中身を問う必要なんかない。とにかく足並みを揃える文化は廃止すべきだ!」という視点をもつ人も時々見かけるけれど、まず揃えることの中身を問うべきだと思う。
ボクは、基本的に「足並みを揃える」のではなく、それぞれの学校(先生)の強みをいかして、学校や教室をつくる方がずっとステキだし、そうすることで、子どもたちにも胸を張って、「自分の強みを生かそう」と言えると思っている。
ただ、単に自分のやりたいことをやりたいがために、足並みを揃えることへ違和感を表明している場合もあるのではないか。
もちろん自分のやりたいことをやれる環境は、とてもステキだとは思う。
でも、ボクらは、1人で働いているのではない。組織として、チームとして働いている。そのことも考えることが子どもたちの幸せにもつながる。だって、目の前にいる子どもたちは、自分のクラスの中だけで、学校生活は完結しないのだから。
自分のやりたいことをやりたいがために、足並みを揃えることへ違和感を表明しているのは、自分にやりたいことがあるからだ。
でも、職場にも、いろんな先生たちがいる。初任の先生を含め、若い先生たちは、まだ「やりたい」ことが見つからず、日々の仕事をこなすことで精一杯かもしれない。
そんな中で、足並みを揃えずに、それぞれがやりたいことをやりましょう。となったら、どんなことが起きるだろうか。もちろんその若い先生がそれで納得していたり、それがチャンスだと思えたりしているなら、全く問題はない。
あるいは、様々な事情で、自分の思うように働けないベテランの先生が足並みを揃えてくれていることで、ありがたいと思っていることはないだろうか。
足並みを揃えることが良いか悪いか。というよりも、まずは、こうしたところまで意識しているのか。配慮しているのか。を考えるようにしたい。同じように、中身を問うことも必要なはずだ。
週末のアルバム。