「虹色の29ピース」~学級目標って???
学級目標が決まった。
「虹色の29ピース」
候補に挙がっていた「SODA」も良いなと、ボクは思ってた。
ソーダのように弾ける楽しいクラスであってほしいし、ソーダは爽やかな感じもあるから。みたいな理由だったのだけれど。
でも、子どもたちは、個性を大事にしたいという思いが強いようで、虹色も、パズルのピースも、その視点で出てきた言葉だった。
よくあると言えばあるような言葉、フレーズかもしないけれど、すべて子どもたちから出てきた言葉だし、決まるまでの過程もすべて子どもたちに任せて、つくった。
「学級目標だから多数決は極力避けて、話し合いたい」という意見も出ていたし、大切な時間になっていたと思う。
今日のビー玉振り返りでも、学級目標の話し合いを進めていた代表委員のがんばりが挙げられていた。
そして、去年の経験があるから、子どもたちは、1人1人がよりどころになれるような学級目標をつくれたのかな。
ここ、ボクの力不足で、なかなか言語化できないんだけど、一般的な目標とは違う思っている。
がんばって言語化してみると、
本来の目標という意味から考えると、みんなが目指すべきものを目標にすべきなのかもしれない。ちょっと検索してみても、「言葉遣いを大切にしよう」とか、「高め合い」とか、出てくる。
でも、そうした方向性とは違って、学級目標をつくるのなら、このクラスの一人一人がよりどころになるようなものになればいいなとずっと思っている。
ところで、学級目標不要論がある。
実際なくても、クラスは、動いていくし、1人1人のがんばりだって、よさだって、発揮しようと思えば、発揮できるし、共有しようと思えば、共有できる。
それなのに、なぜ必要なのか。
ボクなりのイマココの答えは、それは、結びつきのために必要だから。
このクラスで、クラスメイトとして出合って、いろいろな経験を共に積んでいく中で、子どもたちは結びつきの難しさを学び、結びつきを創り出していく。それは学校の存在価値の一つでもある。
その中では、同じよりどころ(=ボクのクラスで言う学級目標)をもった(意識していく)仲間と一年過ごしていく方が、より結びつきを実感しやすいし、創り出しやすいと思っている。
もう一つ時期の問題。
こんな1学期が終わるころにつくって意味があるのか。という指摘もあるかもしれないけれど、子どもたちが大事にしたいところ(よりどころにしたいところ)もはっきりしない中で、慌てて決めて、だから結局先生の思いが反映されたものになってしまっていないか。
その慌ただしい時期につくって、本当に子どもたちのものになっているのだろうか。
しばらく学習や生活を進めていく中で、見えてくるものなんじゃないかな。自分たちが大事にしたいところって。
それでも、今年はコロナの影響もあって、少し時間がかかってしまったかなぁ。
でも、もっと大事なことは、つくった後。
子どもたちの結びつきに必要だったと、子どもたちが実感するような環境や関わりを意識していきたい。
今日のアルバム。本当に大好きなバンド。