【Return of the Obra Dinn】を絶賛するだけ
Nintendo Directで拝見して以来、いつかプレイしたいと思っていたのが本作、 Return of the Obra Dinn (和: オブラディン号の帰還) というゲームです。
まさに自分の好きなやつや!と思ってプレイさせていただいたところ、まさに自分の好きなやつでした。
このnoteでは、「Return of the Obra Dinn」をプレイして気づいたゲームの魅力について記述していきます。ゲームの解釈や考察ではありませんのでご注意ください。あくまで「ここが良いよね」というものです。
アイデア編
前から読めば物語、後ろから読めばミステリー
私が思う本作の最も画期的な部分は、死を辿ることで物語を現在から過去にさかのぼる方向で体験できるという構成です。
本作のオブラディン号の一部始終は劇的ではあるものの、前から読んでいけばトリックも謎もないシンプルな冒険譚です。
ただ、どんな物語も現在から過去へ読んでいけばミステリーと成り得ます。なぜなら、ミステリーとは結果から原因を推測するものだからです。
本作は、ミクロな視点では過去に遡って謎を解き明かすゲームです。死人は語れませんが、過去に戻って生きている状態を見ればヒントを探せるかもしれません。
この段階では、プレイヤーは船に起こった出来事を理解することはできません。なぜか殴られたり刺されたり、急に変な生き物が出てきたりすることになります。
一方、マクロな視点で見れば、船出から現在の荒廃に至るまでの物語を楽しむことができます。そこでは各人物の葛藤や殺人に至る動機、怪物が登場する原因を推し量ることができます。
本作は、過去から現在への物語と、現在から過去へのミステリー、その両方の魅力を併せ持っていました。
保険査定員が面白いという発想
まだこの世にないゲームを作るということは、まだこの世に見つかっていない面白さ、魅力的な体験を見つけることと同義です。
そういった意味では職業体験はかなりやり尽くされた切り口です。料理人、経営者、泥棒、ハッカー、スポーツ選手など、多くの職業体験はゲーム化されています。
そこにきて本作は「保険査定員」という職に着目しています。未だかつて保険査定員になれるゲームがあっただろうか…。
しかも、正しく保険査定員にのみ許された体験となっていることがお見事です。船を調べる、というだけなら歴史学者とか調査員とか、作家や新聞記者とかでも良さそうですが、乗船していた全ての乗客の死について調べる必要があるのは保険査定員ならではです。
こういった、一見どこが面白いのか分からないような体験に面白さを想像できるのがプロのゲームディレクターなんだろうな、と感動しました。
"国民性"という面白さ
このゲームはすでに世界中から高い評価を得ているわけですが、日本人にとってはなかなか享受できない魅力もあるのではないかと思います。
そのひとつが"国民性"という面白さです。
本作では多種多様なバックグラウンドを持つ人々が登場します。それゆえ、母国語(ロシア語や中国語が顕著)の違いやなまり、顔や服装の系統、気性の荒さといった内面の違いがおそらく如実に表現されているのでしょう。
よくYouTubeで海外の方の動画を見ていると、〇〇人は性格がどうだとか、彼は〇〇人の典型だとか、そういう話で盛り上がっていることがあります。
おそらく日本以外の多民族国家では、そういった民族的な違いに対するステレオタイプがエンタメとして機能するのだと推測しています。私は生粋の日本生まれ日本育ちですから、そこらへんはよく分かりません。あくまで想像です。
ただ確実に言えるのは、民族的差異について理解している方がこのゲームは楽しめる、ということです。日本で例えるならば、関西弁のセリフが聞こえてきて「こいつは大阪の人間だ!」とかそういうことです。〇〇県あるあるとかそういうやつですね。
つくづく、楽しむ側にも知識は必要だな、と思います。
歴史的な背景による物語の深み
これも私に知識がないので享受できないシリーズ第二弾です。
絶対世界史に詳しかったらもっと楽しめたんだろうなぁ…と思いました。
ただ、世界史について全く詳しくない人でも、背景知識を交えながら解説してくれている素晴らしい方がいらっしゃいますから、プレイ済みの方は是非一度訪れてみると良いと思います。
システムデザイン編
表を埋めるパズルの快感
「Return of the Obra Dinn」のメインとなるタスクは、60人分の死因調査です。この表を埋めていく作業が、それ単体で大変面白いものになっています。
これが何の面白さに近いかと言えば、数独とかクロスワードパズルに近いものなのかもしれません。
確定している部分から表を埋めていき、そこから新たに確定した部分を見つけていくことで、全体が徐々に完成されていくと嬉しくなってくる…みたいな。
当てずっぽうを許す
本作では、60人の故人の顔と名前、死因を回答することが目標となるわけですが、全員分を正しく記録する難易度はかなり高いものになっています。
そこで、正しい回答が3人分集まると、それらが正しいことがゲーム側から教えてもらえるようになっています。
このシステムにより、対象の人物をある程度絞り込むことができれば、あとは当てずっぽうに全ての選択肢を試せば正解することができてしまいます。
私は、これは難易度の高すぎる正攻法でのプレイを強制しないための助け舟として、あえて設定されているものだと考えています。
「取引」の章にたどり着けずゲームを投げ出してしまうことのないような、パズルや推定の苦手なプレイヤーに配慮した絶妙な設計です。いたずらに難易度を吊り上げれば良いというものではないということですね…。
演出編
語らず、察させる
文章が少ない点も大きな魅力です。本作のテキストでの情報は船員や乗客の死亡した瞬間のわずかなセリフしか存在しないため、あとはプレイヤーが目で見た情報を文章に落とし込む必要があります。
(実際には記述しているのではなく選択肢を選んでいるだけですが)この「観測・推測した事を文章にして記録する」というアクションが、プレイヤーにとって能動的な体験になることもひとつの魅力だと考えています。
例えば逆に文章等であまりにも語りすぎてしまうと、プレイヤーは語られた事をそのまま記録すれば良いことになり、タスクがやや作業的になってしまいます。
さらに言えば、そもそもこのオブラディン号の物語自体が文章で全く語られない点も驚きです。
ゲーム内でこういうことがありましたという語りは一切なく、ただ情報の断片をつなぎ合わせることで、プレイヤー自身が何が起こったのかを理解するつくりになっています。
また、これは言うまでもないことですが、プレイヤーが「察する」ための工夫も随所に見られます。それは音であったり、ポーズであったり、言い回しであったり…、どういったヒントを与えればプレイヤーは推測してくれるのかを考え、上手くコントロールしていると感じました。
まとめ
「Return of the Obra Dinn」は全く新しいゲーム性を示してくれる、印象深いゲームでした。まさに個人開発なせる技といった作品で、このゲームの本質的な魅力を言語化してチームに伝えることは相当難しいだろうという感想です。
このnoteを書いていて、そういえば県民性という面白さをゲーム化した作品は無いんじゃないかと気付きました。こういうゲームのアイデアが少しでも生まれることで、プレイしたゲームの魅力を考える時間は大切だと改めて実感しました。
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