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青い花の丘/羅針盤

生きているともうここで死んでもいいと思うような満たされる瞬間がある。
空を見上げる。のどかな春霞に照らされて、青い花の丘はたくさんの人々で賑わっている。
喧騒から少し離れた木立の中でくつろぐ姿を遠目に見つけて、私は小走りに丘を下る。
いつか私が死ぬ時に、走馬灯となってまた会いたいような穏やかな時間だった。
午後の光が青空から風を吹かせる。
アオスジアゲハが翡翠色のちいさな羽をひらひらと羽ばたかせ、ベビーカーで眠る赤ん坊の横、コスプレをして談笑しながら歩く集団の真上、そして花の揺れる丘の奥へと消えていった。

30代というのは不思議な時間だ。私は大まかに言うと漫然と鬱々と毎日をやり過ごしている。
生きるか死ぬかのラインで常に戦っているようだった20代を越えてくたびれたのか落ち着いたのか。自分の足元を見つめ、どちらかというと淡々と生きるようになった。
性の事アルコールの事。おおよそ依存していた物を一切抜いて、頭にかかっていたモヤが晴れたような毎日だ。正確には離れて初めてモヤがかかっていた事に気づいたのだった。

最近好きな歌の歌詞に羅針盤が出てくる。ずっと昔、遠い子供の頃、本を読む事勉強する事だけが自分に自由と未来を与えてくれるような気がしていた頃の事を思い出す。否定されても妬まれても心の舵を手放さなかった。いつかきっとどこかに辿り着けると信じて努力をし続けていた。

自分を信じられなくなった時、私に何が残るのだろう?手放しかけた歳月、前の見えない暗闇の中で誰の手も信じられずにもがいていた。怒りが制御できないほど溢れていた。今でも揺れる。ぐらぐらと揺れる。でも少しずつ取り戻し始めている。

そこはきっと花の揺れる天国のような場所ではないのだ。もしかしたらもう辿り着いているのかもしれないし、死ぬまでずっと努力をし続けるというその道そのもののことなのかもしれない。歩き続けることこそが答なのかもしれない。

どうしようもなく涙が溢れる。
私はもしかして疲れているのかもしれないし、悲しいのかもしれない。
でも、手放さずに守り抜いた羅針盤が今もここにちゃんとあるから、まだこの道を歩いていきたいと思う。