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なつやすみ
※SM、暴力的表現、性に関する悩みの記述があります。
大丈夫な方のみ閲覧お願いします。
なつやすみ
ストレスがかかると殴られたくなるし首を絞められたくなる。意識が遠のいて足をパタパタ動かすみたいに、何もかも忘れさせてくれる時間がほしくなる。
私のこれは破滅願望であって厳密にはMではないのかもしれないけれど、カテゴライズがしたい訳ではないのでどちらでもいい。
こういう時に主様との絆をますます強く感じる。
もうSMはしないのだけど、理解してくれている人がいることに深い安心感を感じるんだ。
蝉の声がする。
照りつける太陽の中で自転車を走らせて、図書館の門をくぐる。
静かな自習室でテキストとノートを開くと、あっという間に時間が過ぎる。
コンビニでかき氷みたいな味のアイスを買って食べる。
ふと思いついて写真を撮って主様に送る。
なぜだかアイスの趣味まで一致していてちょっと嬉しくなる。
見ているアニメや読んでる本も偶然被っていたりして、出会った頃から今まで話題が尽きたことがない。
主様が送って下さる趣味の写真を見ながら私も自分の好きなものの話をする。
性欲の満たし方も誰かを大切に思うことも形はひとつじゃないと知った。
少しだけ私は安定しつつあるのかもしれない。
◻︎
SMをしないと決めたのはどう足掻いても心が削られるからだった。
悲しくて悲しくて消えたくなる。
一人になった時に自分が何をしでかすかわからなくなってしまう。
もしかしたら、一番幸せな時に死にたいと語っていたとある漫画の登場人物みたいに、満たされすぎるせいなのかもしれないなんて思っていた時もあった。
でも最近は、その満たされ方は本来の満たされるということと質の違うものなのかもしれないと思うようになった。
相手の問題じゃなくて自分の問題なのだと思う。
主様にもそのことは伝えたし、一緒にいる形はひとつじゃないと言ってくれた。
だから今私はなんとか生きていく道を模索している。
◻︎
でも、明るい場所に出ると拒絶されることがよくある。
私に友達なんてもうできないのかもしれないなって思う。
明るい場所で語れることや見せられるものを私は持っていないから、そこに属せない。
一生懸命繕ってもいつもどこかでボロが出て、結局私の心はずっと暗い場所にいるままなのだと思い知る。
もっと明るい方へとコツコツと努力をしても、他の人はもっとずっと先へ進んでいて、子供の頃から積み重ねたたくさんのものを持っていて、努力では一生埋まることのない差を思い知るだけだった。
それでも何故だか努力をやめたくない自分は、ビルのガラスにぶつかり続ける鳥のように、そのうち脳震盪を起こして落下して死ぬのかもしれないな、なんて思う。
わかっていながら、ゴツンゴツンとぶつかり続ける。
暗い場所にいれば傷がよく見えないから、隠さなくて済んで楽なのもあるのかもしれない。
いっそ堕ちて堕ちて堕ちて堕ち切って後戻りができなくなるくらい社会の日の当たらない場所まで堕ちていったら、居場所が見つかるのだろうか。
息ができる場所がほしい。
この世にそれができる場所がないと感じることは、簡単に絶望を呼んでくるから。
◻︎
最近、自分のことをあまり語らなくなった。
話してもわかってもらえないし、相手の話にも共感できない。だから話すこと自体を諦めた。
いつか自分が死ぬ時に、書いたものは残るから、誰かが見つけてくれたらいいなと思う。
私自身が何度も本に救われてきた。
何十年も昔の人の書いた言葉。
会ったこともない人の書いた経験談。
つらい時、何も信じられなくなった時、言葉に救われたことがあった。
きっとそのことだけでも、その人が生きている意味が、生きた意味があるのだと思ってる。
今はまだ生きること居場所を見つけることを諦めたくないけれど、死ぬまで足掻いて、見つからなかったとしても、自分の言葉が誰かに届くことがあるのならば、私が生きた意味が、その時に見つかるような気がしているんだ。