価値観を変えた「家出」
こんにちは、Toneです。
今回は私の価値観が一気に変わった家出について。
私は高校3年生になる直前に怪我と人間関係の悪化で心身ともに崩壊し、部活の退部を余儀なくされ、不登校気味になりました。今回はそれが少し落ち着いた後、高校3年生のGWの話です。
ここからは小説風(あんまり小説読まないからわからないけど)にである調で書こうかなと。
雪が溶けた。新学期、いざこざがあった人とは全員別のクラスになった。配慮なのだろうか。
靭帯の怪我が良くなり、痛みがなく歩けるようになってきた。まだ目を合わせることは厳しいが人と話せるようになり、精神的に少し落ち着いてきた。
GW。自分の本当にやりたいことは何なのだろう。たくさん考えた。
あっという間に最終日。こんなに長期間学校に行かなかったのは不登校気味の時以来だ。
人に会いたくない。そんな感情が最終日に突入した0時30分頃起こった。
学校に行きたくない。じゃあ、家出をしよう。
その衝動で、気が付いたら始発の新幹線に乗って東京に向かっていた。
東京に着いた。空気が違う。常に晴れている。心が澄んだ、と同時に心の奥にある“やる気スイッチ”がオンになったのを感じた。
小学生だろうか。マップも何も見ず1人で電車を乗り継いでいる。立派だなあ。あのサラリーマンの会話はとても筋が通っているように感じるなあ。
自然と入ってくる情報の量が新潟と桁違いだった。
「人はこんなにたくさんいる。今まで狭い社会で悩んでいたのはちっぽけなことだ。自分はきっと与えられた環境を活用するよりも、自ら環境を改築していくことが得意なはずだ。絶対に将来は都会に住む。」ここで決まった。それまでは、与えられた環境でのんびり暮らせばいいと思っていた。
自分が住んでいる場所は魅力的なところがなく、天気が悪い。人間関係は閉鎖的で、生きていてつまらない。
と、半ば絶望していたが、それは住む場所の問題だと17歳にして初めて自覚した。
電車を適当に乗り継いだ。気がついたら、高校時代、受験を意識してからずっと片想い中だった筑波大学へ自然と向かっていた。
つくばは、地元と同じくらい田舎と感じたかもしれない。けど都心へのアクセスが良く、流石研究学園都市、街全体に活気があるように感じた。
大学に入れなかった時のショックでつくば関連の写真は全部消したので載せるものはなし。笑
次に横浜に向かった。みなとみらいに行って感動した。こんなに綺麗な街が日本にあったのか。
将来は絶対にここに住む。そう決めた。
次に何もわからず特急(快速?)列車に乗った。小田原まで行った。
駅から出たらとても暖かかった。南国のような気持ちの良さだった。近くのベンチでしばらく休憩した。
また何を思い立ったのか、バスに乗った。箱根神社に着いた。何も考えないと人はパワースポットに自然と向かうのか。なるほど。
おみくじを引いた。結果は覚えていない。
もうすぐ日が暮れる。親から電話が来た。何故か出てしまった。場所を聞かれた。正直に答えた。
凄く怒られた。
帰る気はなかった。はずなのに結局都心に戻り、埼玉に行き夜の大宮を散歩して終電の新幹線で帰った。
東京の駅構内、段ボールを用いて宿泊をしている人と話した。普通の人はスルーするだろう。何故か話しかけていた。その時精神的に崩れて回復途中だったからであろうか。
彼らも私と同じように心の中に熱いものを秘めているとわかった。名誉や身分の問題じゃない。都心にいる人は皆今日を一生懸命に生きている。その日から何も考えずのんびり暮らすことを辞めた。
帰ったら、心が晴れていた。「自分が活躍できる世界は、この地元を抜け出した先に沢山ある。」それが確信に変わり、生きる希望が生まれた。
ついでに、旅行とカメラが趣味になったのはこの家出がきっかけになった。
もっと広い世界を見るため大学生活で海外旅行を試みたが、このご時世のため断念。とならないのが自分で、Twitterの英語で話す垢を作ったり、「いつか世界を飛び回れる日が戻ってきた時のために今のオンライン中心の世界を使い倒しておく」の精神で日々努力中。今は下積み。
間違いなく、この家出が今の自分の軸を作った。人生最後の日まで覚えているであろう一日となった。
また、こんな心の中の炎が燃え上がるような旅をしたい。
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