場所はいつも旅先だった
11月になった。遅れずに、なんなら1日早くカレンダーをめくった。
10月の出来事はほとんどちゃらになって、目を覚まして、起きている時間のほとんどは自分のことが嫌いだなとか思って、尾崎リノの或る漁港を聴いてまた眠る。
これじゃいけない、自分のリズムを取り戻そうと思って、映画を観にいった。
「場所はいつも旅先だった」
あまりの美しさに気がついたら涙がぽろぽろと。
「人間らしさを失うことなく、いのちを享受すること」
「人はみんな、孤独で寂しい生き物。なぜなら心を持っているから。それならばいっそ、孤独や寂しさを愛してしまおう」
「それでも傷ついたり、心が折れたりすることもある。そういう時は、一人で旅をする。本来の自分を取り戻すために。すると心がじんわりと満たされていく」
心に旅の情景が染みわたって、傷が癒えていく。
異国の人々の営み。夜に煌めく灯火。早朝の特別な光。
サンフランシスコの早朝のダイナーと終日営業のドーナツ店。
シギリヤの伝統行事と家庭料理。
マルセイユの漁師と若者のタトゥー。
台北の市場飯と台南に集う人々。
メルボルンのコーヒー店と熱気球。
数年前、家族と歩いた台北の乾物店街や寺院を思い出した。
幼い頃、オーストラリアで乗った熱気球の熱さを思い出した。
短期留学中に同級生と歩いた、グラスゴーの深夜を思い出した。漏れ聞こえるパーティーの音やパブの喧騒。
自転車で駆け回ったベトナムの湿気や市場の匂いを思い出した。
渋谷にかつてあった「ON THE CORNER」というカフェに行きたくなった。友人と一度、一人で一度行ったっけ。調べたら今はパルコに入っているらしい。なんだ、パルコの映画館でみていたからすぐ行けたみたいだ。でもあの、夜の都会に溺れるような感覚で入ることはもうできないだろうな、明治通りから少し入ったあの角。
渋谷という街。東京という都市。
弥太郎さんにはどんなふうに見えているのだろう。知りたい。
街を歩きたくなって青山通りのスパイラルまで足を伸ばした。カラフルな美しい展示。いつかここで食事がしたいなと、行くたびに思う。2階に上がり、週末会う先輩に早めの誕生日プレゼントを買う。
旅行気分が味わえそうな飲食店に行きたくなって、気になっていたミス・サイゴンというベトナム料理店でブンチャーを食べた。美味しかった。ギザギザの大根とお碗いっぱいの草が余計にそれっぽい。ドクダミとミントとパクチーがあればもっと。
場所はいつも旅先だった。
波の打ち寄せる音や川の流れる音。
人々の声や生活の音。
旅先でのそれらは特別で、本来の自分を浮かび上がらせる。
わたしは自分のことを旅好きとは思わないが、知らぬ人・街の生活を肌で感じるのは好きだ。
街へでること。歩くこと。それはいつも発見に溢れているのだということ。
最高の78分間だった。旅に出かけたような。
さて明日も、わたしはわたしの生活を営んでゆくのみ。