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心のチューニング

SHISHAMOのLINEスタンプに「心のチューニングした?」というのがある。使った記憶はないけれど、いい言葉だなあと思う。


このまえ、通りがかった人気店で、生ドーナツを買ってみた。
家に帰り夜も深まる頃合い、外出して疲れたなあというところでぱくぱくと食べてみたのだけれど、いまいちその、「生」というところの、意味合いといいますか、魅力というものが、分からないまま、ふわふわのパンはわたしの腹のなかに消え去った。ミスタードーナツのほうが好みである。というかドーナツは、ミスタードーナツ以上の創意工夫を施す必要性をかんじない。いまのところ。

転職とかアサインとかにぐるぐると頭が振り回される。
いつものことながら、こっちに来てくださいねというのの数日後にやっぱりごめんなさいと言われたりする。
けっこう参る。もうなんでもいいから、早くクリスマスにでもなって気を紛らわせてくれとも思う。

ぐりんぐりんになって、寝て起きて、とりあえず下北沢のミスタードーナツに行く。
コーヒーの湯気をながめて、オールドファッションを頬張って、本を読んで、BGMに耳をすませていれば、いつのまにか頭のなかのゆれは収まっている。


はじめましてのひとと散々おしゃべりをして、楽しかったけれど息が苦しい、みたいなとき、とりあえず家とは異なる方角へ歩く。さいきんは夜の気温や風が心地よいのでありがたい。それに東京の夜道は歩きやすい。人もいるし、明るいし、車も通る。

茶沢通りを一心に歩くと下北沢にたどりつく。マクドナルドの階段をあがってひっそりとカウンターでシェイクを飲む。携えていた本をすこし読んで、つーっと血液の流れだすのがわかったらまた電車にのってかえる。遠回りで、もう眠たくて、寄り道なんてするんじゃなかったなあなどと思うのだけれど、こうするのがきっとよかった、これでよかったのだ。


わたしは相変わらずこの地で、心のチューニングをしている。

そういうムードでもない場合にはカレーをつくります。やみくもに手を動かし、色鮮やかな皿にし、豪快にたべて、とりあえず元気をいれましょう。