千人針
少し思ったことを書くのも良いのだろう。
題にあるように戦時中には民間風習で「千人針」というお守りを作り
それを兵隊さんに持たせていた。
たくさんの女性の方が兵隊さんの幸運を祈って布に結び目を縫い付ける。
それを有る者は帽子に縫い付け、
また有る者は腹巻に縫い付けて戦地に渡った。
千人針は兵隊さん一人一人の武運を万事無事を祈って作られた。
それを持って僕の祖父も戦地に渡った。
母方の祖父はビルマ戦線にいて、当初200人近い小隊だったが
空からビラが撒かれ終戦を知るころには7名しか残っていなかった。
もちろん祖父も千人針を持っており、それが直接命を助けたであったり
戦果を挙げたとかではないが、故郷へありがたくも感謝の気持ちで当たり前に身に着けていたそうだ。
話はふと今の時代に、この2020年代。
新型コロナウイルスの蔓延を経験した僕たちに、それと似た体験があるのではないかと思ったのだ。
COVID‑19は僕らを世界中をパンデミックと呼ばれる未曽有の混乱と危機に陥れた。
この感染症は専門家の数字では6億人以上の感染者を出し、世界各地で対策が取られているものの依然として好転しているとは言えない状況だ。
たくさんの人が亡くなった。
たくさんのかけがえのない人が命を落とした。
本来治験をするべきであったが事は火急を要し
新型コロナウイルスワクチンを開発してそれの安全性や確証を得られぬままではあるが、世界的に予防接種は拡大していった。
本来争わなくていいはずの人たちが、言葉で争い傷つけあったり。
みんな本当はそんな敵対するような関係じゃなかったはずなのに。
やり場のない怒りを、憤りを、どこに向ければいいのか。
一番向けやすい場所が「国」や「政治」や「医療」というだけで
一部の心無い人々によって、汚い言葉で際限なく罵倒されている。
人の健康が命が脅かされようとしているのだから、一部語気を荒げることも
僕は理解しているつもりだ。そこに正義もないが悪もない。
皆が皆を思うがために、起こってしまっている悲しい事例に思う。
いわば新型コロナウイルス感染症との戦争。
この敵に対して僕たちは感染対策を強いられている。
毎日毎日毎日・・・手洗い、マスク、消毒、体温検査・・・etc
この僕らの戦いはまだまだ続いていくんだろう。
「こんな小さなマスクは使い物にならない。」
そういえばパンデミック最初期、国が配布した布マスクがあった。
アベノマスクと揶揄されたあの布マスクだ。
対応も遅れ気味で配布に漕ぎ付けたときには、民間でもなんとか不織布サージカルマスクが手に入るようになっていて。
ウレタンよりはマシかもしれないが無用の長物のような扱いをされていた。
でもこの国が配布したアベノマスクこそが
不器用にも国が僕らに直接渡した
これこそが、現代の「千人針」のように思えて。
「みなさん、どうかお身体を大切に」
そういったメッセージとして国が僕らに配ったもの。
受け取り方次第ではあるが
少なくとも僕は、大変ありがたいもののように思えるのだ。
給付金よりも、国からの心遣いだと思うと、
嬉しいのは遥かに「このちっぽけな布マスク」なのだ。
小さくて使い物にならないこれに。
見るたびに苦笑い交じりに優しさを感じてしまう。
同時に感謝の気持ちが沸いてくるのだ。
僕はただのお人好しかもしれない。
それでもどんな些細な事にも、関わる人々すべてに感謝したい。
どれだけ生きられるのか、短いかもしれない。長いかもしれない。
わからないけれど、その迎える最期の時まで。
感謝を添えて。