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『ドッジボールの処世術』 –エッセイ2

 子供の時から運動が苦手だった。

 まず、体力がないのですぐに疲れてしまうというのも大きかったのだが、思うように、上手に身体を動かせない。
 手先が器用、と言われたことはあるのだが、身体全体はひどく不器用なようだ。
 だから、集団で行う球技などに関しては、クラスメイト達の足を引っ張らないかひやひやしていた。

 それでもただまっすぐ走る、という行為は出来た。
 球技とは違い個人競技なので、足が遅かろうが早かろうが誰かに迷惑をかけることがないので気が楽な上に、50メートル走や100メートル走のタイムに関しては、特別良いというわけではなかったが、そこまで悪くも無かった。
 いつだったか、クラスで順位が張り出された時、一度だけクラスで真ん中より少し上にランクインしたことがあり、その時は内心すごく嬉しかった。

 ただ、私はタイムが悪くなくても、走っているフォームは悪いらしい。
フォームを改善すればもっと早くなるのに、と言われたことがあるのだが、走り方についてちゃんと教わったことも無ければ自分の走り方を見る機会もなかったので、いまいちピンと来ていなかった。

 高校3年生になって、たまたまではあるのだが、遂に自分の走る姿を見る機会が訪れた。
 その時は全力疾走ではなく、軽いかけっこのようなものだったのだが、これがなんともダサい。
 ダサすぎて我ながら唖然とした。
 私は17年間こんな調子で走っていたのか。
 そりゃあフォームを改善したほうがいいと言われる訳だ。


 しかし、そんな運動音痴の私でも、唯一得意だった球技がある。
 タイトルでお気づきであろう、ドッジボールである。

 長方形のコートを半分に区切り、2チームに分かれて敵の人間めがけてボールを投げつけ合う、あの球技である。

 なぜ運動神経の悪い私が、ドッジボールだけは出来るのかというと、私は兎にも角にもボールから逃げるのだけは上手かった。
 自陣のコートの中で最後に1人だけ残って、そこからしばらく1人でチームを守り続けたことが何度もある。それも保育所の頃からだ。

 怖いのだ。
 ボールに当たるのが。
 ボールに当たりたくないから本気で逃げる。

 しかも私が経験したドッジボールでは、ボールが2つ使用されることが多かった。
 1つのボールに集中してしまうと、いつの間にか後ろから狙われていることもある。
 対角線上から挟み撃ちにされることも多々あった。

 私の学校では、サッカーボールやバスケットボールとは異なり、弾力のある少し柔らかめなボールを使っていたのだが、そうはいってもボールが当たればやっぱり痛い。
 男女問わず運動神経の良い奴が投げるボールとなればなおさらだ。
 そしてボールを投げつけてくるのは、大抵そういった奴らである。

 私の逃げの上手さの原動力は恐怖心である。
 恐怖というのは、人間の底力を最大限に発揮させてくれるのだ。
 運動神経の悪い私が2つのボールを避けながら、1人最後まで生き残れるほどに。
 例え挟み撃ちされても全力でかわすのだ。

 しかしながら、いくら得意といっても、私が出来るのはボールから逃げ惑うことだけである。
 ドッヂボールではとても重要な、ボールを投げて他人に当てるという行為は壊滅的に下手だった。
 ただボールを投げるだけでも下手なので、ボールから逃げようとする人間どもにそれを当てるなんて夢のまた夢なのである。

 ちなみに、相手チームから飛んできたボールをキャッチすることも出来ない。
 下手に取ろうとしたら、掴み損ねて一発退場、外野行きである。

 その程度でよく得意と言えるなと呆れられそうだが、他のスポーツがなにひとつできない私には、ドッジボールで最後まで生き残ることぐらいしか取り得がないのだ。

 とはいえ、恐怖心で逃げているだけの私は、ドッジボールへの参加も消極的だった。
 私の学校では、最初に外野を各チーム2名ほど選出していたのだが、私は可能な限り率先して志願した。
 外野に行ってしまえば、ボールに当たるという恐怖から解放されるからだ。

 外野に行けば、それこそ苦手なボールをキャッチしたり、敵チームに投げつけたりしなければならないのに、と思われるだろう。

 心配ご無用。

 私が投げないといけないのは最初数回だけで、ゲームが始まればボールを取り損ねたり、敵チームに狙われたりした運動神経のいい奴が1人2人すぐに外野にやってくる。
 私の方に来たボールも、拾ったらすぐにその人たちに回してしまえばいいのだ。
 運動神経のいい奴らはボールを投げたがるので、私がボールを回すと喜んだ。
 これぞ今でいうWIN-WINというやつである。

 それでも、たまたまスポーツが得意な人がなかなか外野に来なかったり、来てもすぐに内野に戻ってしまったりすることもある。
 だが誰かしらは外野にいる。
 大抵のクラスメイトは私よりもボールを投げる技術に優れているので、外野に来たボールはその人に投げてもらえば問題はない。

 しかし、毎度毎度そう都合よく外野になれるわけではなかった。
 加えて、外野を決めるじゃんけんなどに勝利し、見事外野を勝ち取ったとしても、自陣の内野メンバーが少なくなってきたら、最初から外野にいた人を内野に入れるというルールがあったため、私は結局内野に戻されたのであった。


 そういうわけで、私が唯一活躍、とまではいかなくても、クラスメイト達にさほど迷惑をかけず、少しは役に立てるスポーツというのがドッジボールだったのである。
 ただ悲しいかな、ドッジボールというのは“遊び”のイメージが強いのか、体育で取り上げられることはほとんどなかった。
 体育の時間は、私が苦手な内容で埋め尽くされていた。

 “遊び”のドッジボールは、小学校低学年では「ふれあいの時間」、高学年では「総合学習の時間」だったか、そんなよくわからない曖昧な時間に登場したり、貴重な休み時間になぜか全員強制参加で開催されたりした。
 クラスみんなで仲良く遊ぶのが苦手だった私は、いくらドッジボールは比較的得意とはいえ、毎度苦痛で仕方がなかったので、結局ドッジボールでさえあまりいい思い出がないのだ。

 だから、小学6年生の時に、私の仲の良い友人(女)と、クラスの地味系男子数人(地味って言ってごめんね、私も同じ地味系だったから許してね)で、休み時間にしょっちゅう校庭の隅で変則ルールのドッジボールをしたのが、私のドッジボールにまつわる記憶の中で、唯一楽しい思い出なのである。

おしまい。



 と、こんな話を書いていたら、中学校時代の体育でバスケットボールをした際に、私の目論見が外れて思わぬ展開になったエピソードを思い出したので、近いうちに書きます。

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