おかんのおかん、ダブリンに来る
ダブリンに暮らすのも残り一か月となり、ついに私の母(77歳)と娘(24歳)が日本からやってきました。
娘は仕事の関係で1週間しかいられませんが、母は私と一緒にこの最後の1か月をダブリンで過ごします。
母は、50歳の娘の私がダブリンでどんな暮らしをしているのか、どんな場所に住んでいるのか、見たかったそうです。
77歳の母がちゃんとダブリンまで来られるのかとにかく心配でしたが、孫である私の娘が同行してくれたので無事に飛行機の乗り継ぎもできました。
ちなみに母は英語は全く話せません。
見事なくらい日本語で貫きます。
買い物しても「お勘定はいくらですか?」と店員にいい、レストランでは「ごちそうさまでした。とても美味しかったです」と言う。
もちろん、日本語の分からないアイルランドの店員さんはキョトンとした顔をします。
それでも「ほらね!言葉が違っても心で通じるのよ」と母は自信満々で言います。(←全然通じているようには思えない)
とはいえ、おかん3世代がはるかかなたのダブリンで再会を果たしました。
親子孫が向き合う時間
私が日本に住んでいるときは、仕事や子育てが忙しくて(毎日生活することだけで精いっぱい)家族とゆっくり話す時間がありませんでした。
言っておきますが、ご飯を食べさせるだけが子育てではありません。
家事はもちろん、家族のケア、二人の子供の中学・高校・大学受験、部活(少年野球の時から)のフォローすべてがほぼワンオペ状態でした。(受験のことなら本が書けるくらいのレベルで詳しいです)
母親や妻の苦労なんて誰も理解せず、それがむしろ「家族のためにそのくらいするのが当たり前」みたいな扱いでした。※これが日本の文化なんだろうなーと私は思っています。
でも私が留学するために日本を離れて海外で暮らすようになってからは、家族のことはほぼほぼノータッチ。
私は自由になり、自分のこと、自分の将来のことだけを考える時間ができました。
子育てが一段落して、旦那と始まる二人の老後生活に明るい未来が持てず、コロナ化にもかかわらず日本を飛び出してかれこれ2年ちょい。
今回、久しぶりに母と娘と再会しました。
そして77歳と50歳と24歳の母娘孫の3世代が、こうして旅行できるのも最後になるんじゃないかなと思うと、この機会がもてて本当によかったなと思っています。
わざわざ遠く離れたダブリンまで来てくれたことも、3人がダブリンで同じ時間を過ごせたことも、感謝もだけど、これができたこと自体が奇跡かもしれません。
一度離れたからこそできたのかもしれない、娘との本音トーク
日本にいるときには、日々の生活と心にゆとりがなくてできなかった内容も、2年間離れたことで、全部声に出して、本音を伝えることができたような気がします。
自分の弱いところ、後悔していること、ちゃんとわかってほしい自分の気持ち、などなど。
日本語のようにオブラートに包むような言い方はせず、英語のように直球で。
私も娘もお互いがド直球で「あのときはあーだった、こうだった」と、泣きながら、怒りながら、笑いながら、お互いの気持ちをぶつけ合いました。
これができたのはいつぶりだろう。
※あとで聞いたのですが、私たちの声が聞こえてくるけど、日本語で何をいっているかわからない同居人のキーツは隣の部屋でオロオロしていたらしい。
あー、でもなんか心がすっきりしました。
2年間海外で暮らしたおかげで、日本にいたときに(家族ですら)照れくさくて言えなかったI love youもちゃんと言えるようになっていました。
最後は「私はあなたを愛している」と言って、娘をハグをし、娘も「私もママが大好きだよ」とハグをしてくれました。
ずっと日本にいたままだったら、こういう瞬間はなかったのかもしれないなと思いました。
めでたし、めでたし