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制作秘話それは下着愛 #Muse杯 裏話

嶋津亮太さん主催の「#ナイトソングスミューズ」コンテスト応募作の制作秘話です。

突然ですが、「制作秘話」は創作における下着自慢だと私は思います。
作品の評価や面白さはあくまでも作品単体で完結しており、制作の裏側を受け手が知る必要はないからです。制作過程のエピソードや仕込んだ小ネタを解説するのは好ましくない、という話も聞いたことがあります。
はしたない、とかそういう?感情?なのかな?下着みたいだね?よくわからないけど。

そう。私に下着自慢をさせてほしい。

今回の作品づくり、とっても楽しかったのだ。誰に見せるわけでもないがテンション上がる下着をつけて、上下をバッチリ合わせて街に繰り出したかのような気分なのだ。(ちなみに実際に着用している下着の上下はメーカーどころか色もバラバラですが気にしません。)

制作秘話は読むのも楽しいですよね。
直近ならば、同じ「#ナイトソングスミューズ」参加者の涼雨零音さんの制作秘話、「#また乾杯しよう」「#オオゼキ文学」illyさんの編集技術公開、「#こんな学校あったらいいな」たけのこさんの制作裏話

受け手が作り手の思いを全部読み取れるかというとそんなことはできないので、それぞれのnoteで「こんな仕掛けがあったのか!」「こんな思いが込められていたのか!」と知れたのはとても面白かったです。

ということで。
私の下着自慢(制作秘話)も聞いてください。

制作過程の公開

開催日を予告し当日みんなで一緒にnoteを書く「呑みながら書きました」という企画を主催しています。あの企画は、みんなが一斉にnoteを仕上げてくる「ライブ感」が楽しいんですよね。いま日本の、世界のどこかで誰かが一緒にグデグデに酔っ払いながらnoteを書いているんだろうなぁ、という感覚。あれ好き。

今回せっかく映像を作るので、私の作業の「ライブ感」を楽しんでもらえると嬉しいなと思い、制作過程をTwitterで実況してみました。

8/9の着手から8/12の完成まで(※いずれもUS時間)絵を描く過程を公開する「ライブペインティング」みたいで、やってる私が楽しかった。

創作の不思議

この作品は、映像+文章+楽曲で1セットの組作品。

映像を見て、映像内に登場する「noteに投稿された記事」をnoteで探し、文章を読む。文章を読んだうえで再度映像を見て、最後に楽曲と一緒に再度文章を読む、インスタレーション作品として作っています。

この構造が面白いとたくさんの方から感想をいただきましたが、実は構想時点では映像内で完結するつもりでした。もう少し複雑なストーリーで、いろいろな演出をほどこし、単体で成り立つ映像作品を作る予定だったのです。

(当初は「漫画」が登場する予定だった。漫画描けないのに。)

筋書きを変更したのは「文章」の仕上がりが、想定外のものになったからです。

文章はもともと映像内にチラッと映る単なる「小道具」のつもりでした。でも書き上げてみると(手前味噌ですが)脳内にあったものよりもずっと人を惹き込むチカラのある物語になりました。
「小道具の文章もいちおうnote内に実在するよ」程度の小ネタとして扱うつもりだったのが、せっかくなので読んでもらいたいなぁと欲が出たのです。

それで急遽、構想を練り直しました。文章を主役級に置くために「映像→文章→映像→文章+楽曲」という回遊型の構成にして、仕掛けが複雑になったぶん、映像パートのシナリオと画をシンプルに変更。全体的に変えました。

考えているモノをいざ現実に出現させると全然違うものになる、創作の不思議ですね。「脳内の最高傑作が、手を動かして作ってみると駄作だった」という話も創作あるあるですが、逆も然り。

画をシンプルにするために

構成が複雑になったため映像パートをシンプルにした、と先述しました。シンプルに、とは具体的にいうと徹底的に背景を排除した画面作りです。
部屋を真っ暗にし、スマホ・PC画面と手のみが浮かび上がるように。受け手の気が散る情報を写さず、物語の鍵となる情報だけ写しています。

通常の映画ならば広がりを持たせるために主役以外の要素も画面に入れますが、映像→文章の導線をスムースにつなぐため、あえて「引っかかりのない画」を目指しました。

て

ね、シンプル。
そして、このカット、陰影がレンブラントのようで気に入っています。

不自然さが自然を産む

映像中では、スマホを片手で持ち、もう一方の手を画面にかざす持ち方でスクロールやタップをしています。実際の私は片手持ち親指操作なのですが、意図的に普段とは異なる持ち方をしています。

なぜならば。
親指操作だと、スマホ画面の光を手に受けることができないからです。その持ち方で撮影すると延々真っ暗闇の中にスマホ画面が光っている映像になってしまう。

情報量の少ない画面に情緒を持たせるため手の演技を入れたく、そうするには手が光を浴びるポジションでスマホを操作しなければならない。そのシーンから逆算して序盤のスクロールも、後半の「スキ」タップに繋がる一連の流れも、上から手をかざすポジションでスマホを操作しました。

カットごとに持ち方が違うと強烈な違和感が出るので、ここは注意深く作っています。

ループするBGM

映像の先頭に流れる広沢タダシさんの楽曲『彗星の尾っぽにつかまって』。

「ふたりのまほろば」から始まり同じフレーズで終わるこの部分は、曲の最後から切り出しています。
反対に、映像の最後に流れるのは曲の最初の部分です。

彗星の軌道のように何度もループする物語。

映像の最初、前世までの話(ビエラ彗星)に曲の終わりを合わせることで、そのサイクルが終わることを示す。
映像の最後、「私」のスキにより1が表示された通知をBielaがクリックすることで双方向のやりとりが発生し、その瞬間に曲の始まりを合わせることで、新しいサイクルが始まることを示す。
そんな意図のBGMです。

声の出演:あきらと

エンドロールを見て「あきらとさんがどこに出てくるのか分らなかった」というコメントが多発しました。まぁ、分からんと思う。

エンドクレジット

正解はここ。

まほろば

0:55、広沢タダシさんが「ふたりのまほろば」と歌いあげるクライマックスに重ねてあきらとさん(と私)の歌声が入っています。

映像冒頭の1分間は「ビエラ彗星」の説明。それは彗星そのものの説明ではありますが作中の「ふたり」の話でもあるという暗喩で歌声を入れました。

しかし、思いついてすぐ、このアイディアをボツにしようか迷いました。だって男性の声を借りないと作れないから。私の喉では男声を出せません。

幸いにも私には、一年以上にわたり一緒にnoteを楽しんできた相棒がいます。打診したらすぐに声が送られてきて「さすが!」と飛び上がっちゃいました。
(映画や舞台など身体をともなう創作をする人ならば恋人役をオファーされることは慣れっこだけれども、文章表現の世界ではそんな機会はありません。かなり心理的ハードルが高かったと思いますが、それでもサラッとOKしてくれたあきらとさんに大感謝です。)

あきらとさんの声は広沢タダシさんの声とよく馴染んでいて聴き分けにくいかもしれませんが、微妙にハモってるんですよね。いい感じ。

時差の仕掛け

私はアメリカ西海岸に住んでいます。サマータイムの今の時期、日本とは−16時間の時差があります。せっかくなので、その仕掛けを劇中に取り入れてみました。おそらく誰も気づいていないであろう下着のおしゃれ。
(そして時差があることを明示してしまうと、日本在住の方が自分を「私」に重ねて作品を楽しむのが難しくなるため、むしろ気づかれないように仕込みました。お遊びの小ネタです。)

まず、映像中で「私」がスマホで見るBielaの作品。投稿時間は西海岸時間「2020/08/11 10:39」。

画像1

次に、BielaのPC画面。日本時間「2020/08/12 02:39」。

画像2

(いてもたってもいられず夜更けに書き始めて一気に書き上げるも、Bielaはnote初めての投稿なので、2時間ぐらいこれでいいのかな、これでいいか、うーん、これでいいや、公開!とやって深夜2時半に投稿した、という設定です。)

「私」とBielaの間には時差がある。ふたりが出会えるのかますます心配になりますね。がんばれー。

ちなみにPCのテキスト表示を一時的に変えるのは簡単です。
ブラウザの開発者ツールを使えばいいのです。システムエンジニア時代のちょっとしたスキルがこんなところで役立っちゃった。

開発者ツール

※ 情報商材で「PVが」「noteの売り上げが」と提示されている数字は信用しちゃダメです。こうやって書き換えた数字かもしれない。

ただそこにある「死」の描写

私は「死」を感動装置として書くことができません。過去、身近に起こった事件事故を周囲の人やマスコミや評論家・コラムニストに好き勝手に語られ、私の悲しみと混乱をエンタメとして消費された憎悪が尾を引いているからです。

今回はとても困りました。せっかく思いついた話の筋に「死に別れ」の描写が必須だったから。

書けそうにないなぁと立ちすくんでいましたが、ふと思い出しました。「終わり」をサラリと、ただそこにあるものとして描く書き手がnoteにいることを。彼女の筆致を脳裏に浮かべたら、すっと筆が進みました。
ゆいさん、ありがとう。

(私自身も死にかけたことがあります。そのときの感覚が、ゆいさんが書く「終わり」によく似ていたので共感しているのかもしれません。)
この小説大好きなのでみなさんにも読んでほしい。

作中で「ふたり」は何度も別れますが、ドラマティックな描写は「生きている間」に、「死」はドライに書けてよかったです。
私がフィクションであろうと「書けない」と感じていた壁を、部分的ではありますが越えることができました。これは個人的にとても嬉しかったことです。でもやっぱりしばらくメンタルがぐらついたから今後も読み書きの扱いは気をつける。

セルフ文体(非)模写

文章パートは「3D/Biela」というユーザーが書いたnoteという設定です。

読んでいる間に「マリナ油森」がチラつかないよう、普段の私から遠い文章を書く必要がありました。「noter文体模写」という他の人の文体を観察しコピーしてエッセイを書く挑戦をしていますが、今回は自分を観察対象にして自分の文章「ではない」文体を探りました。

油森文体の大きな特徴は「同じ母音の語尾があまり連続しない」ところです。(以前ルミ姉が分析して詳しく書いてくれました
よって、その逆。「3D/Biela」の文章は「〜です」「〜ます」「〜ました」「〜でした」をわざと連続させました。

この単調さが良い意味で平坦なリズムを生んで、「文章+楽曲」を鑑賞する際に文字のリズムが音楽の邪魔をせず、お互いを引き立てあうように上手く噛み合ったと思っています。これは偶然の産物ですが。

宇宙の旅

カバー画像もこだわりました。
コンテスト出品のときはpixabay(フリー素材サイト)から画像を選んでいます。(以前みんフォトから選んだら、カバー画像の作者さんが画像を取り下げてしまって締切ギリギリにカバー画像なしになってしまい、悲しかった&焦ったから。)

キーワード「宇宙」で検索し、ピンとくる画像が見つかりました。

画像7

一見すると夜空を見上げた写真のようですが、よく見ると違うんです。画像右下や左下、真ん中やや右上あたりに、ぼやけた光の球が写っています。
この光の球の近さ、臨場感、まるで星を掻き分けて進んでいるかのようではないですか。

宇宙空間を旅している気分になるこの画像を見つけて、即決しました。
これは、ビエラ彗星のふたりの、幸せな旅の瞬間を切り取った画なのではないかと思って。

最後に

小・中学生の頃によく聴いていたのはUKロック。BlurやThe Verve、Ash、Suede、Kula Shakerなどが好きで、MTV(ケーブルテレビの音楽チャンネル)に流れるミュージックビデオを食い入るように観ていました。当時の将来の夢は、ミュージックビデオの監督でした。

広沢タダシさんの楽曲『彗星の尾っぽにつかまって』からインスピレーションを受け自由に創作するこのコンテスト。私の応募作に対し、こんなコメントをいただきました。

すっかり忘れていた夢が、気づけば叶っていた。嬉し。


以上、私の下着自慢(制作秘話)でした。

広沢タダシさん、コンテスト主催の嶋津さん。作品を見てくださったみなさん。
ありがとうございます!

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