![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/157809033/rectangle_large_type_2_2ac81439e4943d2ad9d855e844cceca8.png?width=1200)
口下手
誰かと交流する事が苦手。
自分の気持ちを言葉にする事が苦手。
わかりやすく伝える事が苦手。
楽しく話せる雰囲気を作る事が苦手。
とにかく話をする事が苦手。
対人恐怖症とまではいかずとも人間不信に片足を突っ込んでいるような自分。叶うなら誰とも関わらず穏やかに過ごしていたい。けれど社会を生きるには誰かとコミュニケーションを取る必要がある。最低限の会話と愛想を備えて「普通の人間」を演じなければならない。状況によっては陽や楽しさをまとって様々と関わらなければならない。
とにかく生きづらい。どこまでも生きづらい。しかも陰だけじゃなく卑屈、ネガティブ、無駄な熟考と人生を詰ませる要素がふんだんに盛られている最悪な自分。長所より短所を数えたほうが早い。「なぜそんなのうのうと生きていられるのですか?」と尋ねられても仕方のないレベル。一切の目も当てられない泥人形。100人中100人が「関わりたくない」と答えるほどの汚物。ただこれだけ自傷に走っているにも関わらず、少しでも嗤われると未だに傷ついてしまう。こんなにこき下ろしているのなら何を言われても跳ね返せよ。それすらも出来んのか馬鹿が。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/157802837/picture_pc_4fd330971dcb823e1a7cae856f125b25.jpg?width=1200)
ざっくり言ってしまえば自分は人見知り+コミュ障であり人との会話が長く続かないタイプ。常に話を弾ませる事が正義とするなら、隙間を埋める事が出来ず空白を何度も作り出してしまう悪。それを埋めるために違う話題を口にしてもテーマ選びのセンスが終わっているので何も盛り上がらず、静かに焦った人間が奇妙な文字を発しただけの時間となって過ぎていく。
持って生まれたものだと諦めるしかないのか、変われるはずだと信じて動き続けるのか。そんな2択を突きつけられた時、昔の自分なら後者を選んでいた。自分の本質など努力で変えられるはず。時間がかかっても兆しぐらいは見つけられるはず。そう信じて動き続けた。自分からコミュニケーションを取りに行ったり色んな話を仕入れては、休憩室で同僚や先輩と話を振ってみたり…。とにかく人見知りを克服するために躍起になっていた。
その結果、人間の嫌な部分が見えてきたり人間関係のトラブルに巻き込まれ続けて自分自身が疲れきってしまった。人と関わる機会が多い分、伝わってくる情報が異様に増えたせいだろうか。十人十色というと聞こえがいいですが、人には各々嫌な部分が存在していて「聞かなきゃ良かった」「見なきゃ良かった」「知らなきゃ良かった」と思うことが必ずある。
しかも自分はそういう部分を過敏に察してしまうようで「良い人だけどこういうとこ雑だな」「悪い人じゃないけど良い人でもないな」「人の悪口ばっか言ってるな」と欠点ばかりが目の前に飛び込んでくる。そのうち人の寸評を偉そうにしている自分が嫌になってしまい、人見知りは持って生まれたものだしもう仕方ないと割り切って陰の道に沈む事に決めたのです。結局どう足掻いても本質は変わらなかった。それどころかろくに成長もしていないくせに欠点を見つける自分って何なんだと自己嫌悪に陥った。見つけようとしてなくても見えてしまうから見つけているのと一緒。人の愚図。クレーマー。我が出来てないのに口を開くなカス。
なので先ほどの2択、今の自分なら確実に前者を選びます。変われそうで変わらない経験を重ねすぎた。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/157806590/picture_pc_15918835ed2ac61af7fddd09b733c06d.png?width=1200)
ただそんな人生を繰り返したせいで口下手がどんどん悪化していき、空白が生まれる頻度が多くなってしまう。最近では「絶対に失敗出来ないし調子に乗らず落ち着いていかないと」と意気込んで臨んだシチュエーションで割と大きめのミスをしでかして自己嫌悪どころの騒ぎじゃないぐらいに落ち込んだ。その傷は今も癒えておらず、ふとした時に思い出して叫び倒したくなるほど。リカバリーをしようと試みたものの1秒2秒すら取り返せず、ひたすら闇へと転がり落ちていった。
きっとあの時心を折らずにコミュ力を高めていたらこんな事にはならなかったはず。他の人のように楽しい雰囲気を生み出して、話を弾ませる事が出来たはず。けれどこんなたらればを語ってもどうしようもない。全ては既に起こってしまった事。何もかも切り替えるしかない。置いていかれる前についていくしかない。もしくは何事もなかったように振る舞うしかない。
でももう少しだけ時間が欲しい。瘡蓋が1ミリも出来ていない。時間さえあればこの傷みも乗りこなせるからとにかく時間が欲しい。自分の中で自責と後悔が渦巻いているこの状況に慣れる時間が欲しい。慣れてしまえば、痺れてしまえばどうとでもなるから。
時間さえ、時間さえあれば。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/157808314/picture_pc_7961b1012acf95b0c6685023621964b0.png?width=1200)
このまま死ぬまで生きづらさを感じたまま過ごすのかと思うとゾッとする。どこかで変わるチャンスを見つけなければ。もし見つからなくても作り出さなければ。
でもこれだけ時間をかけても叶わない願望、本当に叶うのだろうか。またどこかで頓挫したりするんじゃないか。そうする間に呆れてしまった誰かが去っていくんじゃないか。
いっそ明日で自分が終わってしまえばいいのに。
そうすれば息苦しさを感じなくなるというのに。
ここまで読んで頂きありがとうございました。
こんな駄文を読んで下さったあなたはとても優しい人です。