*あなたの海を悪く言いたいのでも、私の海を讃美したいのでもありません。漁師の娘が色んな海を見た感想にすぎませんので悪しからず。もしこれを読んでくださったあなたが私の海をご覧になったとき、どう思ったか教えてもらえると一人勝手に楽しい気分になります。 私は東シナ海のとある港町で生まれた。小学生のときは貝類や甲殻類が嫌いで「漁師の娘のくせに」と揶揄われた。祖父の家の前は入江になっていて、うちの漁船もそこに停まっている。潮風はすぐ自転車をサビだらけにするので、じいちゃん家に停めた
数年後には人妻になる予定だったのに予定が狂って独り身になりました、しょーこです。今の私の悩みはタイトルの通り、「どうすればこの社会で独身女性がほどほどに楽しく生きられるか」。日本社会が変わりつつある潮目を体感してはいるものの、まだまだ「ほどほどの」独身女性が胸を張って幸せだと言える社会には程遠いとも思う。これからの社会を頑張って生きなければならない私は、どのように生きていけばいいのだろう。 そもそも、なぜ独身だと肩身が狭い思いをするのか。結婚している人類全てが幸せではな
クソ田舎の高校生だったとき、大学生になったら絶対スターバックスでアルバイトするんだと思っていたことを今ふと思い出した。クソ田舎にスタバなどない。都会の象徴スターバックス。まだコーヒーが飲めなかった田舎の女子高生は、市内のイオンで遊んだときだけ親に買ってもらえるキャラメルマキアートのおいしさを知った。大学は都会に出てスタバでバイトしよう。ど田舎の女子高生はちょっとした田舎の女子大生になり、そしてスタバは遠かった。中程度の田舎の女子大生はスタバのバリスタのことなど忘れ、塾講師に
他の人と比べたことがないので本当のところは全然わからないのだけど、私は比較的持っている記憶が多いんじゃないかと感じる。イベントとして何か特別なことが起こったことを覚えているというよりは、些細な日常の隙間がその瞬間だけ切り取られて脳裏に焼き付き離れないという感覚に近い。もっと具体的に言うなら、頭の中にアルバムがあって、ときおり風が吹いてそれがめくれるようなイメージ。現在のふとした瞬間に、何かのひょうしにぱっと浮かんでくる。 一番古い記憶はおそらく2歳くらいのお正月にビール
高校2年のとき、クラス替えで文系の進学クラスに分けられた。1年生のときの同級生は新しいクラスに1人もおらず、代わりに英会話部のオタク3人と小中一緒の同級生が3人いて、他には誰も知り合いも友だちもいないクラスに振り分けられてしまった。 もともとかなり人見知りで、新しい環境で新しい友だちをつくるのが大の苦手だった。自分から話しかけるなんてそんなハードルの高いことが出来るわけがなくて、最初の3ヶ月は新しい同級生たちを「こいつらやべえな…」と遠巻きにみながら英会話部の愛すべきオタ
幼稚園で、3歳のときにしたお遊戯のことをまだ覚えている。正確には、写真をみてそれを自分の記憶だと勘違いしているのかもしれない。 私が通っていた幼稚園は縦割りのクラスで、同じクラスの同級生はたぶん10人かそこらだったと思う。いや、そんなにいなかったかな。学年を分けるのはクラスではなく帽子の色で、年少は「あかぼうしさん」、年中は「きいぼうしさん」、年長は「あおぼうしさん」。 私があかぼうしさんだった頃、12月のクリスマス祝会で(キリスト系の幼稚園だった)「どんないろがすき
この前のnoteで同じゼミの先輩兼親友が、また優しさの大洪水を起こしたので嬉しさを忘れないうちに書いておきたいと思う。彼女の言動でどれだけ苦しみが和らいだだろうか。というか私はそれに見合う人間なんだろうか。 現在修士2年なのでほとんど授業はないのだけど、前期に1つだけ授業を取っている。去年非常勤に行ってて取り損ねた指導教官の講義があって、さすがに回収しとこうかな、と思って履修した。去年の後期に回収した演習の続きで、中国語について書かれた英語の古典を講読していく授業なのだ
さて、今日も私は一人Netflixでのだめカンタービレをみながらレトルトのカレーを温めて食べた。外はかなりの雨だし、なにせ同居人に炊飯器を持たせたので家で米が炊けない。外に買い物に行くにしても、いや、実際スーパーは徒歩圏内なのでどうとでもなるのだけれど、おそうざいばかりを見てしまうので完全にやる気を失っている。同居人の存在感、すごいな。 さて、今日ご紹介する料理はこちら。 【三品目】 しょーこ母直伝レシピをもりもりアレンジしたもはやオリジナルからあげ 〈作り方〉 1、
私は長いことオタクをやっています。自覚したのは高校のときだったんだけど、多分小2くらいのころにはすでにオタクだったんだと思う。今振り返るとずっとオタク。ということで、今回は私のオタク遍歴を振り返る思い出の散歩にお出かけしたいと思います。共感してくれる人がいたらなんだかちょっと嬉しい。一緒に散歩しましょう。 ※作品名は隠さずに書きます。内容についての萌え語りやCP名などは一切書きません。ただただ、どのくらい好きかということを絞りカスのような語彙力で書き連ねるだけの思い出の散歩
2016年の夏休み、1ヶ月間北部ドイツに短期留学に行った。あれから4年も経つのだが、私はまだあのときのドイツの匂いを忘れられない。今すぐにでもドイツに行きたい気持ちを抑えて、数回に分けて思い出を少しだけ書いていこうと思う。 ロストバゲージは、本当にある話です。全くいい加減にしてほしい。でも実際どっかに行ってしまうのだ。誰だ、私の荷物をどっかにやったヤツは。空港の手荷物受け取りのゲートで、待てど暮らせど出てこない私の赤くて重たいスーツケース。思えば、最初から妙に嫌な予感が
同居人が引っ越してしまったので、最近は料理に気持ちが入らない。やはりだれか一緒に食べてくれる人がいないと、私はどうしてもやる気が出ないようだ。なので、タイトルは「今日の料理」だけど、本当は「今日までに食べた料理」の簡単な作り方を備忘録程度に書いておこうと思う。 〈一品目〉 豚バラのガーリック醤油炒め大葉のせ 言い訳程度のサラダを添えて 【作り方】 1、ご飯を炊く 2、そろそろ炊けるかな?という頃に豚バラを好きな大きさに切り始める 3、豚バラを焼く。焼き色がついたら、砂糖・
修士論文を書かなきゃいけないけど、どうしても気分が乗らない。大学の研究室に行けないからだと言い訳しておこう。家の中で仕事をしている方々は本当にすごい。全然できない。 私は現在、6年目の夏休みを目前にしたしがない文系大学院生だ。来週はゼミで進捗の発表だし、その2週間後には全体でまた発表。そして中間発表がすぐ来る。やめてくれ、ぼくはそんなに器用じゃない。タフでもない。1月には修士論文を提出しなければいけないのに、全然書けないどころか、一1ミリも進まない。D進しようと思った時
幼稚園児くらいの頃からど忘れが多かったような気がする。この部屋に何しに来たのか忘れたり、何か考えてたはずなのに思考が迷子になったり。そういうときはたいてい来た道を戻って景色をみると思い出せたからずっとそうしてたんだけど、脳がまだ若かったから思い出せていただけなのかもしれない。 私は物心ついたときからまあまあ記憶力があったはずだ。母と買い物に行くときは「メモ係」をしていたことを覚えている。母はよく忘れる人で、何か忘れてる気がしていればまだ良い方で、目的のものをすっかり忘れ
そろそろ季節が終わろうとしてるけど、冬はよく鍋を食べる。鶏肉ときのことマロニーを白だしで煮ただけのものでも「鍋」という立派な名前がつくから安心する。名前のない料理を作るのも好きだけど、同居人から「ごはんなに?」って聞かれたときに「きゃべつとひき肉と卵のいためもの」みたいに材料と調理法を答えるのは面倒なので、できれば名前のあるものを作りたい。あるいは自分で名前をつけてしまうか?同居人に通じればいいので、5回くらい作って覚えさせればいいでしょう。 しかし万が一同居人が5回で
はじめまして、しょーこです。しがない文系大学院生です。学位は教育学だけど、本当は言語学をやってるのであんまり学位の言ってることはあてにならないなと思っています。言語学って面白いんですよ、一握りしか食えないけど。 最近は1時間くらいドライブして、コンビニに住み着いてるプロの野良猫に会いに行ってます。大学生になってから猫が好きになったから、猫はコーヒーとかピーマンとかと同系列だということが新たな気づき。猫とピーマンとコーヒーは一列。なぜ嫌いだったのか。 食べることと寝る
読みたい本が溜まってきてるけど、悲しいことにお金ないから本を買ってる場合じゃないのでひとまずここにタイトルだけでもためておきます。積ん読って言ってるけど物理的に積んでるわけじゃなくて精神的な方です。 リアルな積ん読 ・Quality Land ・紙の動物園 ・戦場のコックたち ・1984年 精神的な積ん読 ・82年生まれ、キム・ジヨン ・外は夏 ・オートリバース ・希望の糸 ・アーモンド ・温室デイズ ・昨夜のカレー、明日のパン ・店長がバカすぎて ・水曜の朝、午前三