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2024-10-14: 最近読んだ本
10月も半ば。
冷え込む日もあれば晩夏の陽気が認められる日もあり、袖丈が覚束ない夏の終わり(10月)を感じている。
今年は本は読めど、映画がまったく観れない(観る気が起きない)年であったが、遅まきながら劇場で鑑賞した『ルックバック』を嚆矢に、衰弱仕切った鑑賞習慣がやにわに恢復した。
いきおい、今月はベルイマンや大島渚の作品をいくつか配信で観た。
大江健三郎『沖縄ノート』
いつまでも診察に呼ばれない総合病院の待合室で読んだ。
『ヒロシマ・ノート』から5年、72年の沖縄返還を控えて出版された本書は、前作同様に異邦人・作家たる大江が、大きな傷と悲しみを擁する犠牲の土地で連ねた、憤りと思考の軌跡である。
本書1冊をもって沖縄の諸問題にこの場で軽々に感想を述べることは控えたい。
次は『鉄の暴風』か『記録・沖縄「集団自決」裁判』を読もうと思う。
フランク・スルートマン『最高を超える AMP IT UP』
私は、この手のビジネス書(と技術専門書)を読書記録に列挙しないようにしているが、本書はあえて特筆する。
Snowflake社の前CEOであるスルートマンは、いわゆるプロ経営者(CEO)である。
組織の0->1フェーズをリードする創業者でなく、組織拡大時に役員会から必要とされる「大人」としての船頭だ。Big Techのリーダーを歴任し、ティム・クックやサティア・ナデラを凌駕する富を築いている。
本書の読書体験によって蒙を啓かれモチベーションアップに繋がった方には大変申し訳ないが、私が一読した感想は「マッチョなproductivity porn」だった。
スルートマンはマッチョなビジネスタフガイであり、彼自身(おそらくは)それが原因で大企業の選考に(カルチャーミスマッチのため)落ちたと述懐している。
同じようなビジネスタフガイの本として、私はザカリー『闘うプログラマー』を思い出した。
私は本書の内容にいささか辟易しているが、スルートマンの主張にはおおむね納得している(本書が書籍として良書かどうかは脇に置く)。
ITスタートアップ企業のリーダーの多くは、きっとスルートマンのような組織成果を上げたいだろうし、個人としても彼のようにエネルギッシュかつバリバリと働きたいはずだ(そうでなければ、組織はあっという間にショートして沈没してしまうだろう)。
私が辟易し疲弊を感じたのは、スルートマンが体現する「最高を超えたい」「成長限界を超えて成長したい」というproductivity porn的な成長志向への欲動そのものだ。これはビジネスパーソン、ひいては資本主義社会を構成する人員として敗者の思考かもしれない。
スルートマンの主張は端的に言えば、「使えないやつはクビにしろ」「もっと焦って急げ」である。
私は本書に影響を受けてモチベーションを高めた上長が、本書に根ざしたメッセージを現場に下達するにあたり、立ち止まって少し考え、結果的に専業漫画家に舵を切った。だから本書は私にとって、いわば引導である。
私の辞職は、私がマグロやホホジロザメとして振る舞わなければならないのだとしたら、今は諸事情から漫画芸術においてであろう、と判断した結果である。
この件については現時点で詳述が難しく、近くまた筆を執る。
S・スローマン、P・ファーンバック『知ってるつもり 無知の科学』
ソクラテスの無知の知はあまりにも有名だが、ソクラテスのように自律している人は稀であろう。
私たちは、自分たちが思っている以上にものごとについて知らない。
いかに「知っているつもり」が世の中に横溢しているか。
Xを見てみよう。「そんなことも知らないの?」といった冷笑が散見される。まさに自分が嘲られ見下されたようで、落ち込んだり、反感を抱いた経験があるのではないか。
しかし、「知らないの?」と肩をすくめる人もまた、往々にして実は「よく知らない」一人なのだ。
任意の対象について、自分がどこまで理解しており、どこから先は分かっていないのかを切り分けることは、様々な職業で重要なスキルである。
Software Engineerをしていると、毎日上記のような判断が要求されるし、偽れば誤った結果を容易に導いてしまう。
いわゆる、無知と未知と既知と不知からなる「4つの知」(ジョハリの窓のようなアレ)を日々意識できているか、という話。
豊田利晃『半分、生きた』
映画監督・豊田利晃といえば、個人的には松田龍平主演、THEE MICHELLE GUN ELEPHANTが主題歌提供した『青い春』である。
私はこの映画をオールタイムベストに挙げる。
本書はもともと豊田の写真集として企画され、紆余曲折を経て文章だけが一冊にまとめられたエッセイ、自叙伝だ。
豊田の文章は魅力的だ。さりげなく描写されるエピソードもひとつひとつが強いパンチで、随所に死の影が漂っている。
彼の映画そっくりだ。
小林秀雄『考えるヒント』
小林曰く、考えるとは合理的に考えることであり、それは能率的に考えることとは違う。ものを考えるとは、得心いくまで掴んで離さぬことだという。
正解を知りたい、すぐに教えて欲しい、という欲望は昨今、よりわれわれの間に深く根ざしているのではないか。
この生成AIブームに際し、「機械がよく働けば、自分は馬鹿でも済む以上、自分の馬鹿を願って止まない事になりはしないか」という小林の言が思わず胸に刺さる人と、実にナンセンスと嗤い歩き去る人とがいるだろう。
上記の意見を「反AI」と一蹴する人は無論後者だ。
『考えるヒント』は思考のフレームワークを提示する本ではない。
なぜか忙しい(らしい)現代人の多くは、どちらかといえば迂遠な「ヒント」よりも、効率的な「フレームワーク」や「結論」を欲するのではないか。
誰かが既に考えていることを、どうして自分でまた考えなきゃいけないの? それって「車輪の再生産」じゃない……?
小林が言う「能率的に考える人」は、上記のように訝しがるかもしれない。
本書は、あなたが考えている何事かについて答えのヒントを与えるものではない。
ただ、小林のものの見方を垣間見られるだけだ。
批評の神様のエッセイに圧倒され翻弄されるのもまた豊かな時間の使い方である。
吉田伊知郎『映画監督 大島渚の戦い』
先日、やっと『戦場のメリークリスマス』を観た。
実ははじめての大島映画体験で、その後すぐに松田龍平主演『御法度』も鑑賞。こちらは原作小説こそ読んでいたし、松田も好きな俳優であるが、なんとなくペンディングしていた作品だった。
冒頭にも書いたが、今年は映画を観る気が起きず、映画から離れていた。
じっくりと椅子に座って映画を視聴することが辛く、体力的のみならず精神的にも余裕がなかった。
時折、妻の強い薦めで彼女の趣味である『ゴールデンカムイ』や『トイ・ストーリー3』『インサイド・ヘッド』などを観たが、自発的に食指は動かなかった。
専業漫画家になり、少し余裕が生まれたゆえの、ひさびさの映画鑑賞である。
『戦メリ』のテーマソングを書いた坂本については、キーボードマガジン編集部監修の『坂本龍一の作曲技法』を現在読んでおり、渋谷慶一郎によるスコア解説が面白い(そのために買ったのだが)。
『戦メリ』を観て本書をいきおい読む人はあまりいないかもしれないが、この動線(映画→本の反復)は端的に私を表現していると思う。
本書は表題こそ『戦メリ』だが、内容は大島氏の伝記的であり、彼の監督人生を概覧するに最適な1冊だ。
押山清高『押山式作画術』
『ルックバック』を観た。
どこへ行っても「まだ観てないの?」と言われ、そのたびに「映画館に足を運べるような状況じゃねーんだよな……」と苦笑していたものの、暇乞いのおかげでようやく足を運べた。
監督は押山清高。『フリップフラッパーズ』の監督である。
本書は半分が押山の自叙伝、もう半分が作画論や仕事論で構成されている。
ソク・ジョンヒョン『ソッカの美術解剖学ノート』などのように、一冊丸々絵画指南書ではないし、作画論・仕事論についても新書的な内容なので具体的な技法書を期待している人は試し読みをおすすめする。
『ルックバック』を観て、押山監督に興味を持ち「どんな人?」と思った方には特に良書だろう。
ミリネアら『チープ・シック』
古い本であり、名著の部類に入る。
直訳すればさしずめ「安く着こなす」といった表題の本書は刊行が75年であり、ファストファッションという言葉やそれが指示する対象が存在しなかった時代の書籍である。
今我々が思い浮かべる「古着」とは少し異なる「古着」を対象としたリユースのススメであり、文化や市場が大きく変わった現代に暮らす人が読んでも、実用面の価値は薄いだろう。
本書が名著として読みつがれている理由は、その精神性にある。
たとえば、ミリタリーアイテムやスポーツウェア、ワークウェアを日常着に取り入れるなど、アイテムをコンテクストから切断し、アイテム単体としての強度を評価するということ。
ジーンズもMA-1も、トレンチコートやスニーカー、ポロシャツだって元々はワークウェアやミリタリーウェア、スポーツウェアなどの機能性衣料である。
チープ・シックは、古着を漁る楽しみと、アイテムをミックスする楽しみとを読者に提示する。これは現代でも変わらず存在するファッションの楽しみ方だ。
ドナルド・リチー『映画のどこをどう読むか』
本書は鈴木敏夫の書籍中で紹介されており手に取った。
出版もジブリLibraryからだ。
リチーは取り上げるいくつかの映画について、いわゆる「裏目読み」は行わず、ショットの分析に徹する点で蓮實的だ。
扱われている映画はいずれも50年以上前の古い映画であるが、いずれも有名な映画でありサブスク配信されているものもあるので、余裕があれば鑑賞と併読したい一冊。
本書も『考えるヒント』と同じで、映画読解のフレームワークを提示するようなノウハウ本ではなく、リチーのものの見方に習うタイプの本だ。リチーは前文において、彼がどんな(映画に関する)中心理論や法則も主張しないと前置きしている。
リチーのようにショットから様々な情報を引き出すのは簡単ではないが、ショットには機能があり、理解しようと努力すれば多くを理解できるという彼の言を信じて映画を観るべきだろう。
小林節『「人権」がわからない政治家たち』
以前、樋口陽一と小林との対談本をnoteで紹介したが、今回は小林の単著。
数年にわたる雑誌連載をまとめたものだ。
護憲的改憲論者を標榜する小林は、自民党の改憲論とその動機に対して批判を続けており、憲法のあり方とあるべき議論について発信し続けている。
連載形式のため様々なテーマについて憲法学者である小林が切る、という内容だが、その多くは憲法解釈に対する基本的な認識誤りを正していく。
平易な文体であり一般向けなので、肩肘張らず読み通せる。