自分の人生が少し濃いので、短編集を作ったら多分面白い。と、思う。
こんばんは。病室から初めてこのnoteを書いております。鱗(うろこ)と名乗るものです。
同じ景色をひたすらに見続ける、北東向きの小さな部屋で、半径4歩の狭い日常を今だけ送っていて。
暇を持て余した結果、なにか文を綴ろうと思った迄です。
普段は明るく話し続ける、しがない営業職
今は諸事情あって痛みに耐えながら病室にいる私も、普段は会社にこもって、地域の企業に元気を与える営業職をしています。
"どうすれば、今向き合っている人を喜ばせることができるか"、ということしか考えられない割とシンプルな思考軸を持っているため、毎日が割と楽しい幸せ者です。常に誰かのなにか役に立ちたいと思っているのです。『ありがとう』と笑顔で言われるだけで、お金を貰うより何よりも嬉しいのですから、幸せのハードルが低い私はラッキーだなと思います。
好きな賃貸に住んで、ギリギリの生活をしながらも、
自分の人生には後悔がないと、ほとんど自信を持って言えるような、割とストイックな毎日を送っていて。
ありがたいことに、そのストイックをたまに休ませてくれる、大切な恋人も、今はいます。
ここまでシンプルで幸せものな思考に至るまでには、相当数苦戦しましたが、その苦戦の数だけ、割と早めにこの思考を手に入れられたと思います。
幼少期は変わった子どもだった??
そんな幸せ者の私は、幼少期の頃はなかなか尖った子どもでした。
一人っ子でマイペース。集団行動は苦手で、1人でなら放っておいてもずーっと遊んでいるような、少し変な存在だったと思います。
しかも幼い私には霊感があったようで、周りから見たらとんだ変な子ですよ。本当に。
そんな私の家族は、
祖父はアルコール依存症、祖母はドがつく程の心配性。
その祖父母に育てられたたくましそうで繊細な母と、その母を楽観的に支える父の元で、愛情に溢れて育ちました。ただ、一人っ子というのは時に窮屈で、ずっと大人に囲まれて育つんですよね。中身は大人の考えも少し読めるような、変に早熟な部分もあって、自分と周りの同い年の子達との考え方の差に戸惑ったことが多かったです。だって、前述の家族説明、ご覧ください。私は日常的に見る感情の移ろいや、自分の身の置き方を考えることの回数が、たぶん多かった方なのだと思います。
そんな、傍からは普通に見えて、少しだけ特殊な家庭環境が、
今の私を形作ったのでしょうが、私はそれをコンプレックスだとも自慢にも思いません。
ただただ振り返って、間違った方向に人生がすすまなったことに感謝してします。
それはそれは、たまには踏み外しましたよ。
このnoteでは、その踏み外したり曲がったりして進んだ道たちについて、
退院までの期間に振り返って、整理するために残そうと思います。
私の短くも濃い、24年の人生の中の短編集が、
誰かの暇つぶしになりますように。