見出し画像

死にたくなったら命綱をつけて飛んでみろ


なんともアイキャッチーなタイトルになってしまった。
くだらないかもしれないが、バンジージャンプの話をしながら、私の死生観について少し話したい。


「死にたい」と思うまで、人生に行き詰まってしまったことはあるだろうか。
当の私は、まだ一度もない。
しんどい、とはいくら思ったとしても、私は私の意思で人生を終わらせるようなことはしたくない。どうせ人生が早く終わるなら、自分が幸せのためにした選択の中で、偶然起きてしまった不慮の事故とかで死にたいと思っている。例えば、どうしても行きたかった旅行で、帰りの飛行機が墜落するとか。行きの飛行機だったらちょっとやりきれないかもだし、まあそんなことは多分ないけど。

それくらい、私は自分の選んだことに責任を持ちたいし、それについて後悔をしないような解釈をすることにしている。
そもそも、"考えている"という思考する行為が生きることだと考えていて、それを私はどんな時も楽しんでいる。
こんな楽しい行為を終わらせるなんて勿体ない、と考えるような至極楽観主義者なのである。
たぶん、辛いこともそれなり経験してきたが、「考え疲れたからもう死にたい」というフレーズは、私の辞書には無い。


でも、「死にたい」と思ってしまうことは、人により仕方ないことだとも思っている。そう考えてしまうこと自体は、私は否定しない。
彼らは、どうにもこうにも生きていくには目の前に逃げ場がなくて、それが辛い状況なのである。
死んだ方が楽になるかも、と言うくらい、この先生きていく上での不安とか、辛さが尽きない状態。自分でも、自分自身を信じることが出来なくて、何にもすがれないような絶望感。
しかも、最後の最後で、「死ぬには痛みや苦しみが襲ってくるんだろうか、死ぬってどんなだ?」という怖さや不安と戦わなければならなくて、そんな状況、当たり前に辛いに決まってる。

そんな人に、私は能天気に、バンジージャンプを飛ぶことをおすすめしたい。
(いや、急になんでだよ)
命を絶つことを実行するに至る人は、もうある意味、諦めと決心が付いているはずだ。そうなってしまったら止めようが無いかもしれない。多分そこに、恐怖とかはあまりない。それでも私は、きっと止めたくなってしまうかもしれないけど。
でも、「死にたい」と考える時点の人は、多分まだ無意識に「生きる」ことに執着している。リストカットをする人の心理がそうであることは有名な話だ。死ぬ可能性もある行為を通して、自分の痛みと流れる真っ赤な血を見て、『生きている』ということを一層強く感じているとか。多分個人的な主観だが、「死にたい」のではなく、「もっと上手く生きたい」と、人一倍思っているのではないだろうか。
今回私がバンジージャンプをおすすめしたいのは、この、後者のような方々にである。

バンジージャンプって意外と高いから、最後の最後に泣け無しの金を払うことになったとしても、それでも飛んでみてほしい。
死ぬ怖さを本当の意味で体験できるし、これから生きていくための自信とモチベーションも同時に得られるはずだからだ。上手く行けば自分の体になんの傷もつかないし、一生強烈に残る記憶になる。


"人生で死ぬまでにやりたいことリスト"のひとつに入っていたバンジージャンプに、大学4年生の頃に挑戦した。群馬県にある猿ヶ京バンジーは、その高さ64m。バンジー初心者には少しプレッシャーになるくらいの調度良い高さだ。
重要なので再掲するが、私は嫌々飛んだ訳では無い。むしろやりたくて飛んだので、行くまでの道中、飛ぶ瞬間のその直前まで、マイナスに表現する感情はまるでなかった。ひたすら、ワクワクして、楽しみだったのだ。

時期もよく、9月の頭頃だった気がする。
猿ヶ京の渓谷は、まだ緑が青々としていて、それが流れる川と反り立つ岩に映えて、見下ろす景色は素晴らしかった。


そんな風に意気揚々と、トップバッターとして、ジャンプ台に立つ。
ギリギリのところに立って、足元のマークに自分の靴を合わせるところで、初めて下を見た。

その瞬間、楽しみだった気持ちは一瞬で吹き飛んでしまって、全身が恐怖に支配された。

「あ。(落ちたら確実に死ぬやつだ)」

64mなんて、普通に全力疾走しても10秒くらいかかる距離。それを縦にした高さに、今自分が立っている。川は流れているが、ああ、このまま落ちたら確実に自分は死ぬ。20年以上生きてきて、ここまで本当に死ぬかもしれない可能性を目の前にする恐怖はなかなかなかった。
それを一気に自分で打ち破って、誰に押されることも無く、自らの身を投げなければいけない。それがバンジージャンプ。
怖さと裏腹にどんどん進められるカウントダウンに気圧されながら、私の足はジャンプ台から離れて浮いて、その瞬間でさえも、「あ、、、死ぬかも。」と考えた。

そのまま情けない声を出しながら、64mの距離を約4秒くらいで落下し、すぐさまゴムのバネで上に引き戻される。
その後はもう、恐怖に打ち勝った達成感と、周りの景色を楽しむ余裕を持って、ぶらぶら大きなブランコに乗っているような感覚。
その時は、「生きてた良かった」なんて考える暇もなく、上記のような爽快感だけに、脳が満たされるのである。なかなか無い、最高の感覚だ。
多分、その瞬間だけは、学生のテスト期間とかが終わったような達成感では無い。
「高校三年生の、最後の全国大会で、優勝した」
みたいなレベルの達成感を、誰でも味わうことができると私は断言する。


こんな風に飛び終わると、「あの怖さに勝てた私は、この先どんな怖いことがあっても立ち向かえる」という根拠の無い自信に満ちる。
なので、もう一度だけ、目の前でぶつかってた人生の壁に、チャレンジする勇気が湧いてくるはずだ。
それで、きっと思うだろう。
「死にたくなったら、最後にもう1回飛びに来よう」と。


同じように、死を目の前にする恐怖を味わうなら、
その恐怖に打ち勝って、本当に人生終わらせるんじゃなくて、
その恐怖に打ち勝って、自分に自信つけて、もう1回かっこよく生きてみませんか。

しかも、経験者だから言わせてもらおう。
もし、不慮の事故で、命綱が切れてしまったら、
きっと念願叶ってそのままあなたは死んでいくだろう。
でも、見慣れたビル街で、大嫌いだった会社とか、人とか、学校とか、そんな景色を最後に見るよりも、ずっと良い。
青く澄んだ川の水や、力強い緑の木々とか、そんな綺麗な景色を最後に見れたなら、
最悪死んでもまあ、いっか。って自分は思う。


だからどうか。
苦しい場所で、たった一人で、
苦しい選択を迷うくらいなら。

天気のいい日に最後に外に出て、
命綱をつけて飛んでみてほしい。
ひとりでいくのが不安なら、
私が一緒にお供しますんで。



#バンジージャンプ
#悩み
#死にたくなったら
#人生


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?