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「1円でも安く買う!」をやめてみた
私のアイデンティティの一つに「関西人である」があります。
そんな私も26歳から上京して、アラフォーの今もずっと東日本在住です。
出身地域性と時代背景など、様々な変化はありますが、私の買い物時の根っこに「もうちょっと安くならん?」が存在します。
幼少期には、家電を買うならば、大阪の日本橋(関東でいう昔の秋葉原?いわゆる電気街でした)に家族で訪れ、父親の値切る姿と店員さんのやりとりを、面白くみていたものです。
また、あまり関西で一括りには出来ないので、出身の大阪に絞りますが(それでも強引)「良いモノを、より安く買えた」ことが誇れることであり、「高い品質のモノを、高いお金を払って買った」をアピールするのは、別にカッコ良くはない、みたいなカルチャーもあったと思います。
『これ、こないだ買うたんやけど、なんぼに見える?』←(関西人の多くは、そこで言われた金額より、実際は安く買えたことを自慢したい)
という、上京したての当時ですが、この話は関東の友人たちにはまったく共感されなかったんですけれど…
ある種では、それも健全なのかも知れない
1円でも、同じものが安く買える環境があるのであれば、そこで購入する。
というのは、資本主義社会の中では正しいことなのだと思います。価格というのは、需要と供給のバランスで決まるのが自然な流れでもあります。
ただ、残念ながら現在では、いろいろと便利な仕組みが多すぎます。
例えばネットショップは、すべてWeb上で完結するので特に相性がよいのだと思いますが、Googleのショッピング検索、価格ドットコムや、楽天、アマゾンなどでも、簡単に同一商品の「最安ショップ」が見つかります。(ナショナルブランド品)
しかも消費者側も賢くなっていて、単に売価が最安値であるかどうかよりも、当然配送料は考慮していますし、そこにポイント還元の強弱や、配送の早さ、ショップの信頼性など、とにかく何でもかんでも『コストパフォーマンス』を重視していますし、いつでも『費用対効果』が一番優れた場所を重視するようになっていったように感じます。
物価が上がれば上がるほど
本来は様々な要素を加味して『費用対効果が最大』『満足』出来る買い物を望んでいたはずで、ただ安いだけを重視しているのではない、はずなのですが、
消費行動にかけられる予算が小さくなればなるほど、「費用そのものを、如何に下げられるか?」に、より目が向くモノだと考えています。
セールでしか買わなくなるし、ポイント還元率アップのタイミングを待ちますし、価格交渉の余地がある商材の場合は、値切り交渉の勢いが強まる可能性も高まります。
どうなんでしょうか。家賃や自動車などが代表されつつ、他には価格インパクトは小さくとも、身近ではメルカリなどが、対象としてあげられるかと思います。
「1円でも安くさせる」だけが目的になると
実は、最近では個人的にあまり好きではない情報があります。それは、一部の「値切り方マニュアル」です。
直接自分が関わる業界のものではなく、被害が直接出る訳ではないのですが、問題と感じるのはその論調にあると思います。
私が好きになれないものは、競合の会社や商品を持ち出しての相見積もりによる、値下げ交渉であり、そこで担当営業を「揺さぶる」ような示唆が書かれています。
そこでの目的は、ただひとつ「一円でも安く買うためには」に特化しているようにも見え、少し断りの文言が書かれている場合があるものの、その後の売り手と買い手の関係性などは、軽視されているように感じます。
とはいえ、これをすべて否定しているつもりでもありません。
例えば、法人対法人で、ほぼ同質・同水準のサービスであったり、そもそもの相場が解らないという場合は、謙虚に学ばせてもらいつつも、当たり前のようにやるべきだと思っています。
また、明らかに一方が損をするような取引にしないためにも、相見積もりは必要なことでもあります。
「よく解らないけど、俺には安くしろ!」
でも、これは最悪ですよね。もちろん社内的な稟議申請のことであったり、値引きを勝ち得た実績が必要であったり、事情はそれなりに解るのですが、
なぜその価格になっているのか?を学ばず、理解する努力もせず、ただ「安くしろ!」は問題外です。
まあ、そのあたり売り手側の方が一枚上手で、仮にそういう気配を察している場合には、
初めは高めに見積もりを出して、買い手がなんとか頑張って価格を下げた感を出せば、それでいいんですから。ただ単に、買い手は売り手に、裏でバカにされているだけです。
まあ、それも買い手側として商談をしている担当者も全て解っている場合もあって、
自分が部下として「これだけ値引きさせました!」で、上司の承認をもらい、
「ウチの上司は、内容が何もわかんないから、相見積もりして一番安い所見つけました!か、交渉頑張ってこれだけ安くなった!と、伝えとけば全部通るんだよね」と、
開き直っている方にも会ったことがあります。これはそもそも上司も悪いし、暗に上司を小馬鹿にしているこの人も良くない。
私の幼少期の思い出に戻ります
(毎度おなじみ、脱線エピソードです)
子供の頃、父親の値切る姿と店員さんのやりとりは、複数回見てきました。
思い返せば、テレビやビデオデッキ、洗濯機や冷蔵庫なんかも、一緒に買いに行った記憶があります。
私は、大阪でも少し南側の市に住んでいましたので、初めて訪れた時のこの電気街の印象は「ザ・都会」でした。少しゴチャゴチャ目の。
少しウキウキで出発し、沢山の電気店と商品を色々と見ているのは楽しかったのですが、父親の傍を離れる訳にもいかず、ずっと近くにいることになりますので、父と店員のやりとりは面白いのですが、
1時間くらいで飽きます。
しかも、A店で交渉したら、その後B店に行って、次にC店に行って…みたいな感じですし、風景もやりとりもあまり変わらないこともあり、子供にとって特別楽しい時間ではありません。
確かに、会話を聞いていると「店をまわるたび、価格が少しずつ安くなっている」ことは、子供の私にも解るのですが、
これ、いつまでやるんや・・・?
いつか終わるんか・・・?
と、思っていた次第です。
ちなみに、あの時代は本当に「お客さんにはかなわんなあ」とか「もう下がらへん!」「勉強させてもらいますわ」みたいな、コテコテの関西弁で、あの空間は満たされていました
実際に、初めて一緒にテレビを買いに行った時は、父は3時間くらい交渉を続けていましたね。
幼心ながら『なあ、なんでテレビ買うんは、あんなに面倒なんや?駄菓子は値段決まっとるのに』と、素朴に聞いた記憶もあるのですが、父は「そういうもんや」としか、言いませんでした。
まあ、帰りにタコ焼きやら、なんやら買って貰って、色々とチャラになって、大満足で帰宅するのですが、とはいえ「電気屋は面倒くさいなあ」という印象は強く残りました。
面倒くさいし、退屈。でもその後はちょっと美味しいものを食べさせてもらえる。お子様ランチとか。
そんな動機で、その後もある程度の年単位ではありますが、数回、電気街には父と一緒に訪れました。
子供でも流石に気づき始めた
4回目くらいの電気街への買い物だったでしょうか。
いつもは3時間くらいはかかっていた買い物が、1時間もしないうちに終了しました。今日は、あっさり決まったな、と思いながら、ふと気づいたことが口から出ていました。
『あれ?おとん、いつも色々まわっても、結局買うのはいつもこの店やな』
「半分正解や。でも、この店やから買うてるんやない。このオッサンやから買うてるんや」
といって、関西人からみても、如何にも関西人なテンションの店員さんを指差しながら、笑って言っていました。
ここからのエピソードは、詳細に記憶している訳ではないので、少々怪しいのですが、今の私の言葉で表現をすると、
・もはや足元を見られる心配がいらない
・お互いがお互いに、ちゃんと得がある状態にしようとしている
・ひいきにしてくれているから、少し値引しても買って欲しい
・父親自体も交渉ばかりするのは、本当はちょっとしんどい
・アフターサービスがちゃんとしていた(電話もたまにある)
・父親の価格と価値のバランスの思想が、理解されている
こんな感じでしょうか。
えっ?今になってスゴく勉強になる・・・。これ、LTV向上の思想にまあまあ近くない?
現代に戻りながら、まとめ
どうも、私の昔話にお付き合い頂きましてすみません。
この記事を書く前に、最近、少し前に言われた言葉を思い出しました。
「人生を豊かにしたいなら、提示された金額を素直に納得して払える、ひいきの人を3人作れ」
これが父親が言ったことなのか(そうだったら、おとんカッコイイ)、本で読んだものか、誰かの言葉なのかは、あやふやなのですが、確かにそれもありかな、と改めて思います。
昨今では、とにかく最安値だけを探すのでしたら、ほんの数分で調べられる便利な世の中になりました。
物価高に対して、年収が上がらない中では、最安値店を探すのは、ある意味自衛行為だと思いますし、色んなレビューや口コミを確認する事で、失敗の可能性を減らしたいと思うのは、自然であると思います。
私も、そのプロセスで購買行動をしていることがとても増えてきました。
本質的には、消費行動に対しての余裕(金銭的、時間的、心理的)が無いから、とにかく損をしたという感覚を排除することで、満足感を得ようとしています。
そして、上記はインターネットにさえ繋がっていれば、簡単に情報を得ることもでき、損のリスクを減らす利便性は大きく進化したのだと思います。
しかしそんな私が、今一番投げかけられると困ってしまう質問は、
「おそらく得をしたし、損もしてないだろうし、便利だけど、それは豊かな生活ですか?」
確かに、一番安く買えて、損をしていないことはほぼ確実なので、その部分の満足度は高いのですが、買った場所、店に対しての愛着はないに等しく、次もそこで買う理由は「次も最安値店だった」時になります。
ただ、先にも記述しましたように、金銭的に余裕がなければ、さらに安いもの思想は強くなると思います。
また、そもそも店舗に愛着なんて不要。そう考える方が自然になっている時代かもしれません。
さすがに、2店舗を比較して、「11,000円 と 10,000円」なら、安い方で買う一択になってしまいそうですが、
「10,100円 と 10,000円」くらいの対決ならば、自信を持ってその商品をお勧めしてくれて、私がそれを買うべきかどうか正しく考えてくれて、だからこそ無理には買わせようともせず、買った後こそ、私を少しだけ気にしてくれている。
そして、それにこちらも過剰には甘えず、買い手と売り手の、個人対個人で一定の信頼関係が構築出来ているような、そんなひいきにしたい人を大事にしていきたいですね。
今のところは、その視点だと相手は1人だけしか浮かばないですかね…
コジマサトシ/トナリコネクト