東北生まれ訛れないコンプレックス持ち
東北生まれだと言うと「訛ってみて」とリクエストされることが多い。しかし私はあまり訛りがない。これはひとえに子どものころからテレビを長時間見て育ち、標準語のリスニング量が膨大になったからだと思っている。
『お●あさんといっしょ』だとか東京を舞台にしたドラマだとかを耳にする時間が多かった。中学生や高校生になれば、『ア〇トーク』のようなトークバラエティにハマり、標準語に加えて関西弁の比重も高まった。
朝のニュース番組だって、地方局でも標準語が基本。地域民へのインタビュー画像などが映ると、訛り全開のしゃべりを聞くことはできるが、テレビっ子であればあるほど訛りのリスニング量は減るのではないだろうか。
もちろん祖父母や父母はバリバリの東北訛り。「んだから」「だべ」「どこだりかつたり」などなど。
ただし子ども時代は学校で過ごす時間が長い。国語の勉強だって、教科書はほとんど標準語だ。地方の訛りで書かれた文体は少なく、なんだったら平安時代の古文に触れる時間の方がきっと多いだろう。
子どもたちの訛りの程度は、祖父母や親からの影響が強いが、やはりテレビの影響も甚大なはず。私も例外ではなくテレビが大好きだった。本も好きだった(古文よりは漢文、もっといえば英語の方が好きだった)。
だから大学進学や就職で都会に出てから、訛りをリクエストされたときに、自分でも驚くほど訛ることができなかった。
お決まりの自己紹介をして出身地を聞かれて、相手がせっかく興味を持って振ってくれた話題。ところが言葉に詰まってしまう。東北生まれなのに訛りがないというのは、相手からしても拍子抜け。
あの瞬間はすごく焦る。「気取っている」と思われたくないし、「恥ずかしがっている」わけでもない。内側から湧いてこないのだ、訛りが、ひと言も。
「訛りたーーーーーい!!」と強く願うものの、いたって普通のイントネーションでしか話せない。あるいは、ややアクセントに訛りがあるかも程度。
かたやナチュラルに訛っている人もいる。
「沖縄出身?癒される〜」とか「金沢の訛りかわいいねー」とか「ちょ、茨城弁すげーな!」と、訛りをきっかけに早くも愛され始めている地方出身者がうらやましかった。東北弁ペラペラでみんなと仲良くなってる人たちがとてもまぶしく見えた。
幼少時、テレビばかり見ずに、祖父母の口癖をナチュラルにコピーできるくらい、もっと甘えていればよかった。あるいは地域の人とどんどん仲良くなるコミュ力強めの子どもだったら......もっといい感じに訛れたのだろうか。
という風に、訛れないコンプレックスをこじらせつつある。
訛りはとても魅力的な個性だ。その人のバックグラウンドのイメージが湧くし、理屈抜きに「あ、いいな」と思うアクセントがあったりする。
もちろん標準語が悪いわけではない。同じように、訛りだって悪くない。というかいい。訛りが恥ずかしいと思っている人がいたら、「そんなことないよ!」と全力で伝えたい。
近年は地方移住の人気が高まるなど、ローカルの魅力がどんどん再発見されている。訛りだって、一朝一夕に身に付くものではない。訛っているということは、それだけ地域に根差して生きてきたひとつの証なのかもしれない。
もしも私が今後「訛ってみて」とリクエストをもらえることができたら、と考える。自分の内側から自然と訛りが出てくるように、もっと里帰りしなきゃなと痛感している。
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