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はしのはなし

今日ははしのはなしをします

今日、はし屋さんに行きました。箸屋さんです。
嵐山にあるその箸屋さんは手作りの箸が売りのお店です。

実は、私は今日、とあるお店のアルバイトの面接をしに嵐山にやってきたのでした。家から駅、駅から駅、駅からそのとあるお店までは約一時間と言ったところでしょうか。

念のため早く家を出たら
ちゃーんと早くそのお店の場所に着いてしまったので、何となく近くにあったその箸屋さんを拝見したのです。

入ってすぐ、金箔の施された栗の箸置きや
みたらしのお団子の箸置き
ここは京都のはずなのに、どうしてか富士山の箸置きもありました。

箸置きの棚を過ぎるとついに箸たちの棚が見えてきます。



太い箸、細い箸、ゴツゴツした箸、ツルツルした箸、高そうな箸、高い箸

猫のいる箸、猫のいない箸、お父さんみたいな箸、お母さんみたいな箸



顔をあちらこちらに振りながら、
顔を近づけながら、
時に顔を遠ざけながら、
ポッケに手を突っ込みながら
ポッケから手を出しながら

箸だらけの空間をうろうろ、ウロウロ…


ふと、箸じゃないものが見えた気がして
頭を、目線を壁の上の方に向けました。

そこには額縁に入った横長の大きな紙があって
筆で何か書かれているようでした。


『はしの付く字はたくさんあります。
箸、橋、梯子にもはしが付いています。
はしというのは何かと何かをつなぐものです。

橋はこっちと向こうを繋いでいます。
梯子も同じ。
箸もこちらとあちらを繋いでいるのです。

こちらの口と食べ物を。

そんな食事の時間には箸に神様が宿るとされています…』


「。。。」
ひたすら読み進めながら
食事の時に使う箸はこちら(現世)とあちら(常世)を繋いでいるように感じました。

私が生きているということ
そして食べられるものはもう生きていないのだということ

普段から(一人でお店に来た時も小声で)いただきますをいうようにしていますが、そうか、いつも私は命をいただいているんだったと、改めて思ったのです。

文章には
はっきりとは書かれていませんでしたが
お葬式の際に箸を使ってお骨を持つのもそういうことなのかと知りました。


そんな今日

私は厚切りの食パンを買う代わりに
食パン一斤を買って帰りました。

500円の美味しそうなコーヒーを買う代わりに
美味しそうなジャムとポテトチップスを買いました。

そして今
ご飯が炊けました。


いただきます。


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