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自然と社会の狭間に

トルコから帰ってきて、1ヶ月半が過ぎた。

季節もぐんと進み、僕が1番苦手な夏がやってきている。

トルコの写真達も無事現像が終わり、とりあえず撮れていたことにほっとする。

今回の旅は全てフィルム写真で撮影するという、自分にとっても不安要素が多い旅だった。

ちゃんと撮れているのかな。もう1カットおさえておいた方がいいかな…いや今のできちんと撮れてるはずだ。

そんな不安もありながらも、戻ってきた写真たちを見てフィルムで撮ってきてよかったと心から思った。

撮った全ての写真たちを覚えているからだ。

自分がなぜシャッターを切ったのか。どんな感情でカメラを手に取ったのかがありありと思い出された。

そんな今回のトルコ旅を少しだけ振り返ってみようと思う。

カンガル犬に出会うために、僕はカンガル犬所縁の地である「Kangal」に到着した。

乾いた空気と砂埃が印象的な小さな町だった。

人々は行き交う人が顔見知りらしく、歩く度に色んな人と挨拶をしている。

日本人の僕はとても目立ったみたいでKangalでは色んな人に声をかけられた。

僕が日本人だとわかると次の日には町を歩くと「ジャポンジャポン」と笑顔で手招きされ、食事やチャイをご馳走になった。

なぜこんなところに来たんだと聞かれ、僕の知っている数少ないトルコ語で

「カンガル、チョバン(羊飼い)、チェキ(写真)」と話した。

すると皆、笑顔でそれはいいと歓迎してくれ、羊飼いを紹介してくれた。

本当はここに辿り着くまでにそれはそれは色んなトラブルがあったのだが、ここでは省略してまたどこかに機会に書くこととする。

紹介された羊飼いはポーラックというアフガン人の大柄な男だった。

真っ黒に日焼けした顔、濃い顔立ち、見た目は細いが手が厚く、それは外仕事を生業とする人の典型的な特徴だった。

彼はトルコ語を話すが文字が読めなかった。

彼が住む場所は町の郊外でスマホの電波も入らなかったので、Google翻訳も使えず、彼とは主にジェスチャーで会話をしていた。

とても優しい男で、こちらが何を聞こうとしているのか一生懸命に理解しようとしてくれていた。

そのうち電波が入り、Google翻訳に音声機能があることを思い出したので、こちらが伝えたいことは音声機能で伝えることができた。

羊飼いの朝は早く、5時頃から準備が始まる。

そこから18時〜20時くらいまでの実に12時間以上を羊たちと共に歩く。

羊たちは新鮮な草を求めて移動し、遠く離れたところにある水飲み場を目指す。

これはモンゴルの羊飼いたちと同じだった。

12時間というととても長い時間だったが、ずっと歩いているわけでもなく、羊たちが草を食べている間は座って休憩していたりする。

それでもカメラ3台をぶら下げて丘を越え、峠を越えの行程は僕の体力的にはかなりきつい撮影だった。

羊たちの側にはもちろんカンガル犬が護衛につく。

彼らは付かず離れずの距離感で羊たちを見守り、オオカミや野犬が頻繁に出るエリアでは先導し、ポーラックと共に安全を確認しながら進んでいた。

ポーラックはとにかく優しい男だった。

常に僕の方にも気を配り、水やお昼ご飯なども何も言わず僕の分を持ってきてくれていた。

決して口数の多い男ではなかったが、彼の中にある強い信念と動物への愛情を僕はずっと感じていた。

終始穏やかに進んでいた行程だったが、突然ポーラックが走り出し1頭の羊をむんずと掴まえて押し倒してしまった。

何事かと思い僕が近くに寄ると、すぐに事情が理解できた。

羊が子を産んだのだ。

ポーラックは産気づいた羊にいち早く気がつき、その手助けをしていたのだった。

しかし残念なことに、仔羊は死産だった。

ポーラックはすかさず仔羊についている膜を剥がし、人工呼吸を施した。

そのすぐ側では母羊がずっと鳴き続けている。

5分くらい経ったところでポーラックは静かに仔羊を置き、僕の方を見ると静かに首を振った。

仔羊の遺体はそのまま置いていくしかないようだった。

もうすでに4時間は歩いてきてしまっているので、持って帰るにもどうしようもなかったのだ。

残念な気持ちで再び歩を進めると、今度はまた別の羊が子供を産んでいた。

今度こそと願いながら、羊の近くに近寄ると、今度は無事に生まれたようだった。

母羊は子供にまとわりついている膜を丁寧に食べ、仔羊は必死に立とうとしている。

テレビなどでよく見た草食動物が生まれてすぐに立てるようになるあのシーンを僕は生で初めて見た。

ある程度羊のやりとりを見ていたポーラックは、この親子から離れて歩いて行ってしまった。

なぜだろうと思って彼の歩いて行った方向を見ると、羊たちの群れがもう移動してしまっていたのだった。

羊たちは待ってくれない。

ポーラックとカンガル犬たちは親子を置いて歩き出した。

どんどん群れが親子から離れていく。

その間、母羊は必死に鳴いてこちらへ訴えかけていた。

待ってくれと必死に叫んでいるように思えた。

それと同時に仔羊のお尻の方を鼻でつつき、立たせようとしている。

仔羊は懸命に立とうとするが、まだ生まれて数分しか経っておらず、足に力が入らないようですぐに地面にへたってしまう。

母羊が群れと仔羊に交互に鳴く。

一方で待ってくれと叫び、一方でさぁ立ちなさい!と勇気づける。

その間、無情にも群れはどんどんと小さくなり、ついには豆粒ほどの大きさになってしまった。

僕も置いて行かれてしまうと思い、後ろ髪を引かれる思いでs親子を後に群れについていった。

ポーラックにジェスチャーであの親子は大丈夫なのかと聞いた。

ポーラックは僕をまっすぐ見て、何かを話してくれた。

細かくはわからないが、あの親子が自力でこっちまで来れないと、ここでは生き残れない。

そう話しているようだった。

とにかくポーラックには他の何百頭という羊たちがいるのだ。

彼らのためだけに群れの行軍を止めることはできないのだ。

家畜という人間社会で管理されている動物たちは、その命を人間に委ねられている。

一方で十分な餌をもらい、水をもらい、寝床を用意してもらえる。

それが野生動物との決定的な違いで、彼らの生存戦略でもあるはずだ。

しかしここでは、まるで野生動物と同じ境遇に立たされていた。

自力で起き上がり、自力でついてくることができない者は置いていくしかない。

豆粒のように小さく見える親子羊たちの声がまるで近くにいるかのように耳の奥にまで響く。

野生と社会の狭間に彼らはいるのだと思った。

家畜といえどもその命を保証されるわけではない。

ここでは半分家畜で半分野生なのだ、と思った。

それから2時間も経った頃だろうか。

僕らはお昼休憩のために、水飲み場の近くで休もうとしていた。

するとポーラックが遠くを見つめ、ロバに乗ってそちらへ歩き出した。

僕に手招きをし、遠くを指差した。

あの親子だった。

仔羊も無事に歩き出し、群れに追いついてきたのだ。

ポーラックと共に近くへ寄ると、仔羊も疲れてはいるが元気だった。

ロバに乗ったポーラックは少しずつ彼らに近づいた。

仔羊はロバに驚き、母親の後ろに隠れる。

また少し近づくと仔羊は、怖がって少しだけ走った。

その様子をじっと見ていたポーラックは僕に親指を立て、真っ黒な顔から真っ白な歯を覗かせニッと笑った。

おそらくこの仔羊は大丈夫だ、と僕に伝えたかったのだと思う。

その後、ポーラックはその仔羊を捕まえて、ロバの荷袋の中に入れてしまった。

なぜすぐにそうしなかったのかと疑問に思ったが、後に聞いてみると、やはり体力のある羊しか残せないからというのが理由だった。

ここまで自力でついてこれたが、まだこれから6時間以上も歩かなければならない。そこまでは産まれたての仔羊にはさせられないと思い、ロバに運ばせることにしたのだ。仔羊の体力を見るのにはもう十分だった。

ポーラックは優しく仔羊を抱き抱えて、そっとロバの荷袋へと入れた。

仔羊はキョトンした顔で、でもじっとしていた。

ロバはわかっているのかわかっていないのか、そのまま何事もなかったかのように歩き出した。

夕方、少し早めに家に到着した。

すぐに仔羊は母羊のところへと合流し、必死におっぱいを貪っていた。

しばらく仔羊が大きくなるまでは放牧はせず、飼料のみで母親と一緒に居させるのだという。

改めて生き物の強さを見せてもらった。

その厳しさも見せてもらった。

生きられたものと生きられなかったもの、その違いは本当に僅かでしかなかった。

生まれた直後から必死に立ち上がり、懸命に生きようとついてきた仔羊。

必死に群れを呼び止め、仔羊を勇気づけていた母親。

シビアだが、愛情を持って見守っていた羊飼い。

その仔羊を運んで行ったロバ。

その様子を側でじっと見守っていたカンガル犬たち。

人間とロバと羊と犬。

種類の全く違う生き物同士が身を寄せ合い、それぞれがそれぞれの役割を真っ当し、共に生きていこうとする姿に僕はずっと心を打たれていた。

全員言葉が通じない中で行われていくやりとり全てが美しかった。

家に戻ってきてポーラックが嬉しそうに仔羊を抱き上げた姿が今でも僕の記憶に深く残っている。

家畜であれ、野生動物であれ、ペットであれ、命というものに触れた時、僕の心は震える。

でもそれはきっと僕が普段から命というものから遠ざかっている証拠なのかもしれないとも思った。

彼らは当たり前に命と向き合い、日々を紡いでいる。

夜、寝袋に潜り込みながら起きたことを頭の中で反芻していた。

もっと真剣に生きなければ、と思った。

あの親子達のように、羊飼いの彼らのように、もっと真剣に生きなければと思った。

命に触れて、それが当たり前にある人たちの暮らしはとても魅力的だった。

僕もいつか、彼らのように当たり前に命と向き合えるように強くなりたい。

そう思った体験だった。



小さな山をいくつも越えていく


セルタンというカンガル犬はとても優秀なガードドッグだった


あたりを警戒するセルタンとそれを真似る4ヶ月の仔犬


ポーラックとセルタン


ポーラックは心から動物を愛している人だった


ロバは荷物の運搬を全て担う。中にはお昼ご飯や応急処置のセットなどが入っている。


人工呼吸とマッサージをするポーラック。セルタンは後ろでじっと見守る



もう1頭産まれた仔羊


母親が必死に勇気づける


群れから離れる



戻ってきた親子


無事群れに戻れた



強く、生きている


ロバの荷袋へ


無事戻ってきた仔羊を抱く羊飼いたち


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