母親になったら後悔する。

私は、今20代後半。独身。
結婚は、してもしなくてもいい。でも、私は母親になりたくない。
なんとなく母親というイメージに嫌なものが付いて回ってるのだ。
多分、それは自分の母親が務めてきた「母親」がこびりついているからだと思う。

正直言う。私の母親は母親業に向いていない。
ある人に言わせると、だらしがない。ある人に言わせると、ぶっ飛んでいるのだ。

小学校中学年の時、自分のロッカー周りにショウジョウバエが沢山いることに気づいた。叩いても叩いても湧いて出てくる。
ロッカーを開けると、理由がわかった。私の手提げカバンに、腐った葡萄が入っていたのだ。
訳がわからず、学校の公衆電話から母へ電話をかけると、母は笑っていた。
「ごめんごめん。お母さん、前に一緒に帰った帰り道で八百屋さんに寄って、それ買ったのよ。お母さんも取るの忘れて、とんちゃんが気づかずに学校に持っていっちゃったのよ。給食のおばさんに言って、捨ててもらいなさい。」
確かに私も、手提げカバンの奥底に水分を含んだ重い葡萄が入ってると知らないまま、学校にカバンを持っていったんだから、”抜けている”と思う。状況にパニックになっている中、給食のおばさんに「なんで私がお願いをしなきゃいけないの?」「生徒の私的な物を捨てるなんて給食のおばさんの仕事じゃないでしょ?受け入れてくれるの?」と思ったが、ハエが湧いている以上、なんとかするしかない。
先生に言ったら、この世の終わりになる気がして、相談しなかった。
涙目で給食のおばさんに、支離滅裂な言葉で説明して、なんとか捨ててもらった。
おばさんも困惑しており、申し訳なかった。

待ち合わせをしても、何時間もやってこない。
引っ越した後は、帰り道の待ち合わせ場所が決まっていた。
区の施設で、母と落ち合って、一緒に徒歩で家まで帰るという毎日だった。
施設に着いて、母親に公衆電話から電話をかけても、ゆうに20回は出ない。出て、着いたことを伝えても、3~4時間来ないことがある。退屈な時間だなと思っていたのだが、そのお陰で、施設に置いてある「ブラックジャック」を読み漁ることができた。施設のおばさんに、いつまでも母が来ないから心配されて、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

中学生の時、大体、私が家を出る時にお弁当は間に合わない。学校で仕方なく自販機に入っている菓子パンを買うと、担任の先生が飛んできて、「お母さん、今、お弁当届けてくれたぞ〜」とお弁当を持っていることもある。
そんな友達、他にいない。顔から火が出るほど、恥ずかしかった。

特に教育された覚えがない。
小1の時、宿題というものを「家でやってくるもの」と知らず、やっていかなかった。皆が提出している中、私だけやっていないことを見かねた担任が宿題の定義について教えてくれた。それまで担任は、宿題がどういうものか、私たちに教えてくれていなかった気がする。既に、家で宿題のことを教わっているだろうと思っていたからかもしれない。

今も昔も、事務的なことを母に聞くと、いつも「わからないの。誰かに聞いてね。」だ。そして困ったことに、私の父親はというと、ヒステリー持ちで、会話ができない。何か困っている時に父に質問をすると、「なんで、お前はそう言う困る状況に自分を置くことをしたんだ!」と怒鳴られる。
困っているのに、さらに怒られるので、泣きっ面に蜂状態になる。
だから私は事務的に困っていることがあると、通院している精神科の先生や叔母、家の事情を知っている友達のお母さんに聞いている。本当に助けられている。

夕ご飯は、小さい頃から夜の21時、22時が当たり前。
母は作っている途中に色々なことに手が伸びるので時間がかかってしまうのだ。

こういったことが沢山あって、小さい頃、私は友達の親子と遊ぶのが大嫌いだった。母と一緒に待ち合わせに遅れると「遅いよ〜」とか「ちゃんとしてよ〜」と言われる。それに皆、私たち二人を見て、笑っているような感覚がしたからだ。
母親と母娘としてみられることが嫌だった。同じに扱われることが嫌だった。
だから私は「だらしないと言われないか」、「言われないようにちゃんとしなきゃ」と、今でも強迫的に感じている。

こういうトラウマ達について、ある時、母親より年齢が高い女性に愚痴を吐いたことがある。すると、女性に予期せぬことを言われた。
「あなたのお母さん、かわいそうね。向いてないことをしなくちゃいけなかったんだから。」
びっくりした。今まで母親と付き合うことが大変すぎることばかりに気を取られていて、可哀想なんて思ったことなかったから。しかし、それを聞いて、「母は母親になってよかったのか」と考えるようになった。

ちなみに私の母親は悪い所ばかりではない。
実は、私の母親はアート的なセンスに優れている。
幼稚園の時は、皆に馴染みの絵本の絵を模写して、卒園式の会の場所に飾り、皆の評判を買った。
小学生の時にしたハロウィンの仮装では、子供達の衣装にセロファンや紙でアイデアを加えて、友達の母親達に感謝されていた。
いつもお小遣いをくれる時、茶封筒に動物の絵を描いてくれる。
私が絵を描くのにパレットがわりにした缶を、母がトイレに置いていた。そこに置くと言う発想はなかった。パレットのカラフルな色がトイレに映えた。
でも、母は趣味をやりたがらない。
私が母にも好きなことをやってほしいと思って、「お母さん、絵やらないの?」と聞くと、「お母さん、昔絵をやってたでしょ。その時、上手さを競争するのが嫌だったのよ。だからいいの。」と言う。ただ、そう言う母が、なんとなく影を落としている気がして、悲しくなる。
私は母に、もっと得意で褒められることを沢山やってほしいと思う。

私は、母親をできる自信がない。
向いてないことを、不得意なことをして、祖母から、父から、周りの親達から、私から色々言われていた母を見てきた。
仮に、私が母親業に向いていたとしても、踏み切れない。母親になりたくない。

「母親になって後悔してる」(オルナ・ドーナト/著 、鹿田昌美/訳、2022年3月24日、新潮社)という本のタイトルを、書店で見ると、ゾクっとする。罪悪感でいっぱいになる。母親に向いてない母に母親をさせてしまったからだ。
そして、私は、母親になったら絶対に後悔するなと思う。

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