牢屋の外にいるけど、何もしない自分を責める
どういうふうに生きたらいいんだろうか。
本当は安定した生き方の方が私の心も体も楽になるだろうに、そちらに足が進まない。
安定した道が牢屋に入れられるような感覚がして、どうしても進む選択ができないのである。
なぜ、こんなに歩みが遅いのだろうか。
なぜ、何のボールも持てないのだろうか。
病気の状態でも、同時平行で何かの道を進んでいる人だっている。
私も、かつてそうだった。
今、私は、比較的健康になったのに、何もしようとしない。
何もしたいことがないなら、安定した牢屋に行ってみてもいいのではないだろうか。
それでも安定した牢屋に行きたくないのである。
私の使命とは何か。わからない。何もしたいことがないのだから使命がない。
もしかすると、何もしないで、自分の中に入ってきた悪いものを出して、入って出してを繰り返して、健康に生きることが私の使命なのかもしれない。なんて格好の悪い使命なのだろうか。
こんな絶望していて、私はカフカのようだ。
安定した生活が得られるけど、自分のやることを他人から決められる牢屋に行くのを拒否している。
だから、牢屋の外にいる。
でも、やりたいことが何もない。
牢屋の外にいるものは大体、何かに打ち込んで見えるのに、私は、牢屋の外で一人で何もせずに座っているのだ。
何かに打ち込んでいる人たちが走っているのを見ながら。
牢屋の外にいるのなら、何かに打ち込んでいるべきなのかもしれない。
だけど、何に打ち込めば良いのかわからない。悩みながら座っている。
健康な状態の人は、何かをしていなければいけないのだろうか。
私は一生牢屋の外で、何かに打ち込んでいる人を見ているのだろうか。
牢屋の外にいる人は何かに打ち込んでいなければいけないのだろうか。
安定している牢屋の中に行けない。
でも牢屋の外でやることもない。
私は、生活の為に安定した生活を営んでいたカフカ以下だと思う。