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幸せのハードルを下げる
私には、30年以上病気の姉がいます。病名は、“統合失調症”というもので、症状が現れた当時は“精神分裂病”と言われていました。私が高校時代に姉は専門学校に通っており、実家に帰ってきた時には、独り言・被害妄想・幻聴などの症状があり、私も両親も本当に戸惑いました。
当初は彼女の病気を受け入れることができず、「おかしくなったフリをしているのではないか」と本気で思っていたこともあるほどにこの病気に対して無知そのものでした。
月日が経ちましたが、姉は今でも毎日何錠もの薬を服用しながら両親のもとで入退院を繰り返す生活をしています。
そんな姉に笑顔が出てくるほどに調子の良い状態が続いていた時、両親の車の中で突然こう言ったのだそうです。
「私、今幸せ」
両親からその話を聞いて、私はびっくり仰天しました。それと同時に、「それは良かったね!」と答えながら本当に嬉しくなり、この上ない幸せな気持ちになりました。
そんなセリフを聞いたのはこの長い間初めてのことでしたし、(一体何が彼女の中で起こったんだろう?)ともの凄く興味が湧いてきたものです。
勿論、私達家族は皆経験的に統合失調症というのは調子が良い時、悪い時を繰り返す病気なのはわかっているので、こういった状態に一喜一憂することはなくなりました。しかし、統合失調症の患者を持つ家族にとってこのセリフほど救いになる言葉はないと思います。
私の姉は、20~40歳代の人生を謳歌する若者の時代を経験することができず、自分が希望していた道もありながら実現せず、独身であり子供にも恵まれない日々を送ってきました。周囲から見れば、「なんと可哀そうなんだろう」「本当に幸せなんだろうか?」と思う人がいても不思議ではありません。。。
しかし、彼女が発した言葉で少なくとも私の考えは180度ひっくり返りました。そして、本人だけでなく私達家族をもとても幸せな気持ちにさせてくれたのです。
このような実体験があり、私はさらに幸せに対する理解が深まったように思います。『幸せって何ですか?』というタイトルで述べたように、
『本人が「幸せです」といえば幸せであって、「不幸せです」といえば不幸せなのです。それに誰も異を唱えることなどできません。』
ということが全てだと思うのです。周りが本人をどう評価したとしても、そんなことは全く関係がない。本人がどう考えるかで全てが決まるのですから。
前項の『幸せを創り出す5つの法則Ⅱ 過ぎた欲望を極力捨て去り、常に少なくする』というところで述べたように、自分の“幸せのハードル”を下げること、つまり、自分が現在理想としている幸せから一段下がって考えてみましょう。
例えば、私の姉を例にとると、「病気が治らないし、自分の夢がまだ実現していないから不幸せだ」と考えていれば、不幸せということになります。しかし、そこから一段下げてよく考えてみると、
「確かに夢はまだ叶わないけれども、自分の自由な時間が持ててそれで楽しいし、歩いたりバスで好きな所にどこへでも行ける。長年の病気はあるけども、それ以外は五体満足な状態で支障なく生活できている。独身だけれども、家族が常に支えてくれて笑うこともできる。毎日食べるものも、生活する家もあり、着る服にも困らない。それで十分幸せではないか」
という風に考えていたとすれば、姉は『私、今幸せ』といっても決しておかしくはありません。(もちろん、あくまで私の想像であって実際の気持ちは本人に聞かなければわかりません)
たとえ今現在「自分は幸せではない」と思っている人がいたとしても、自分の周りに潜んでいる“小さな幸せ”を挙げていくことはできるはずです。それをしばらく考えていくと、「あれ?実は今十分幸せなのではないか」「うわべだけを考えていて、よくよく考えてみたら恵まれていることに気づいた」という人は実は沢山いると思うのです。
このように一段幸せのハードルを下げて考えてみれば、「私は幸せだ」と言える人が増えていきます。そうすれば、私が感じたようにその周囲の人も幸せな気持ちになれる。つまり“幸せの連鎖反応”のようなことが起こるのです。
ですから、皆様も是非一度“自分の中に潜んでいる幸せ”についてよく考え、「自分は幸せなんだ」と言えるまで幸せのハードルを下げてみましょう。そして、あなたの周囲に「私は幸せです」と宣言すれば、「ああそれは良かったね!」と喜んでくれて自分事のように幸せな気持ちになってくれる人がきっといるはずですよ。