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あとがき

 読んでいただいた皆様は、人によって様々受け取り方があるのではないでしょうか?「そうか、幸せは自分で創れるものなんだな。早速実践してみよう」と前向きにとらえる方もいれば、「なんだ。幸せになるには色々と面倒だな。本当にこれで幸せになれるだろうか?」と半信半疑な方、中には「いや、これで幸せになれれば苦労しないよ。参考にならない。」と全否定される方もいらっしゃるかもしれません。冒頭に述べた通り、80億人いれば、80億通りの幸せがあるように、受け取り方も千差万別ですので、どんなご意見・ご感想があっても不思議はないと思っています。

 私が考える幸せというのは、結局のところ、“無から有を生み出す”ような行為ではなく、人それぞれに潜在的に隠れた“宝物”である幸せを掘り出すことであり、これまでの文章はその方法について述べているだけなのです。文中に幸せを“創る”と多く書いたのは、その言葉が『自分が主体的になって行動した結果、今まで自分にはないと思っていた幸せをあたかも創造した』ような、前向きな表現だと考えたからです。

 仏教において重要視される『般若心経』という1つの読誦経典の中に、「色即是空 空即是色」という言葉が出てきます。一般的な解説では、「この世のあらゆる物や現象(=色)には実体がない(=空)。実体がないものが即ちこの世のあらゆる物や現象を表しているのだ」(この解説はあくまで一つの見解であり、様々な解釈があると思われます)。全ての物や現象には固定的なものはなく、変化して実体のないものだ、ととらえることもできます。私は、“幸せ”というもの自体もまさにその通りではないかと思うのです。

 幸せは、その人が「ある」と思えば存在する(=幸せな状態)し、「ない」と思うならば存在しない(=不幸せな状態)ということ。そういう意味では、一方は“幸せ”、一方は“不幸せ”と書かれた“玉手箱(中身は実体のない箱)”を人それぞれが自分の意思で選んで手に取っているにすぎない、という解釈もできるのです。ある人には見える幸せの一面が、別の人にはその幸せが見えないだけなのかもしれません。そこに幸せが存在するのに、見えないというのは、非常にもったいない!!!と強く思うわけです。

 世界中を見渡せば、戦争・紛争の最中にある国に住む人々、飢餓に苦しむ人々、住むところもないような難民など、他人から見れば「なんて不幸せな境遇なんだろう」と思えるような人々が沢山存在しています。そうすると、多くの人は「世の中は不公平だ」と考えるかもしれません。しかし、私はどんな境遇であれ幸せは必ず存在していて、たとえ戦争地域に住む方々であれ平和な国に住む我々と同じように幸せが見える人と見えない人が存在しているはずだと考えています。

 人間は、ダイヤモンドの指輪のようなものです。多面体にカットされているので、ある所から光をあてても反射して輝いている面と輝かない面が必ずあります。たとえ、輝いていない面があっても、それは見る位置を変えれば(あなた自身が”あなたという尊い存在”に対する見方を変えれば)必ず輝きます。もし、一生をかけてひたすら磨き続けるならば、最終的にどの角度から見ても必ず光り輝くようになる人もいるのです。

 今、自分の不遇を嘆いている方、「なぜ私だけがこんな目に」という境遇にいるような方々が私の文章を読んで幸せに対する見方を変え、「自分は幸せなんだ」「幸せは創れるんだ」という意識を持っていただければ、それに勝る喜びはありません!                     
                             (終わり)

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