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48歳親父の子育てから学んだこと

中学生になったばかりの息子と、小学5年生の娘をもつ私。今年で48歳、ある企業の情報システム部門で社内のシステムを作り続けてきた。そろそろ最前線からは退きつつ、なんだか寂しい気分で過ごしている。

二人の子供はかわいい。なんでもしてあげたくなる。たまにイラッとするけど、すぐ許してしまう。

エッセイを書くきっかけは息子の小学生の卒業式。ちょうどWBCの決勝戦の最中に執り行われた。小さかった我が子が中学生の制服を着て、姿勢良く歩いているのを見ると、立派になったと思ったが、泣くほどの感動は無かった。式が終わり、先生や友達との写真撮影が終わって帰り際、息子から手紙をもらった。これは泣くやつなのか!と思ったが、「お父さん、勉強とか教えてくれてありがとう」と書いてあった。照れの部分もあったのだろうが、勉強教えたところが息子には刺さったのだろう。

この時に感動したというよりも、私こそ息子にありがとうと言いたい気持ちになった。

私の父親は昭和な男で、あんまり仲良くなかった。口を開けば「勉強してるか」しか言わなかった。勉強していても言われるので、会話にならない。幼い頃から親と遊ぶことなく、一人で遊んでいた。友達ができる年頃になると毎日外で遊んでた。

たぶん、自分が親になって、小さい頃に憧れてた親子関係になりたかったのだと思う。初めて子供が産まれてから、育児に積極的に参加して子供との関係性を盤石のものにしたかった。

実際はおむつ替えるのも四苦八苦、ミルクを飲ませてゲップさせ、寝かせて、泣いて、おむつ替えて。その繰り返し。最初の頃は経験が無く、ちゃんとやらなきゃという思いが強すぎて大分疲れてしまった。妻が動けるようになってからは分担して少し楽になり、徐々に良い意味で適当になっていった。その頃から息子が可愛くてしょうがなくなった。心の余裕が必要だということを実感した。

その頃、社内システム開発のプロジェクトマネージャーとして各方面との調整、仕様の確認と決定、報告などやることが山積み。子供が産まれて一週間休暇を取ったが、仕事に戻ってからあまり進捗しておらず、焦っていた。自分が何とかするんだと躍起になってきたと思う。でも自分にできることには限界があり、周りに頼んでチームで仕事をする、それでうまく行かなくてもなんとかなるさ!という心の余裕が必要だと思い、育児と通ずるものがあるのではと気がついた。息子には感謝だ。本人には自覚ないだろうが。トラブルが多発して大変だったが、一人では抱え込まずに、周りを巻き込んで着地させることができた。

息子が1歳過ぎて歩きだすと、また世界が変わるのだ。普段何気なく通りすぎていた公園やショッピングモールの遊び場、小さい子供の施設に行くようになる。そこで、他の子と接するわけだが、転ばぬ先の杖をするかで悩む。極力自由にさせようと思うのだが、違う子に怪我させるんじゃないかとヒヤヒヤしながら見守る。逆に息子の遊んでるオモチャが取られたり、突き飛ばされると大分イラッとするが、大人げないので我慢する。大怪我だけ注意してギリギリまで我慢だ。それにしても、子供の遊ぶ施設って色んなところにあるものだと感心する。そこに行くとオモチャとか絵本があるし、夏場は涼しく、冬場は温かいのでとても助かった。施設の人には感謝しかない。

昔、上司から事細かに確認されるのがとても嫌だった。マイクロマネジメントというやつだ。嫌だったので、自分の専門領域では口出せないというところまで頑張った。結果、あれこれ言われなくなった。自分が上司になったらマイクロマネジメントしないと決めていたが、指示した仕事をなかなかやらない、進捗報告では要領の得ない内容での報告、ついついあれこれ問いただしたくなった。そんな時、我が子に対する転ばぬ先の杖はしないと同じだと気付く。内心では心配で仕方がなかったが、広い心で門戸を開き、「いつでも相談してね」としていた。異動する時、信頼して任せてくれてありがとうや、物事を俯瞰している頼りになるリーダーだった、などお世辞を言われた。それはちょっと嬉しかった。もう少しアドバイスが欲しかった、と言ってきた人もいた。当然受け身の人はそう思うだろう。主体性というのは、上司から言われて育つのではなく、自らの内側から湧いてくると私は考えている。ある意味私に対する文句を言うのは、主体性が芽生えてきたと勝手に考え自己満足した。

多くの人が新しい環境に飛び込むのは怖い事だと思う。年を取れば余計に。でも、どんなことでも学ぶことがある。私は子育てを通じて学び、仕事のピンチを切り抜けられた。だから、我が子に対してありがとうと言いたいのだ。

#育休から育業へ

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