目白村便り⑲(怖いマスク)


もの言えば、唇さむく、梅雨ちかく

コロナのチェック基準が緩くなって、マスクを外してもOKになった時、解放感を感じた人も多かろう。
しかし、電車の中では、いまだに多くの人がマスクをかけている。
この3年間身についてしまった習慣は、風邪や花粉症の予防と、すっかり混ざって慣れた。
マスク着用義務の徹底には、日本人の社会的同調感覚の強さを改めて感じたが、フランスにも、別な美意識から、マスクをしないという、じわっとしめつける圧力はある。
コロナ前に、マスクをパリの地下鉄でしていた友人が、散々白眼視された話を聴いたが、今回の誰もが強制されたマスク着用の判断には、実に欧米と日本の違いが、隠れている。
勿論、どちらが正しいという話ではない。

それにしても、日本のジャーナリズムは、特に権力側に対する時に、忖度が甚だしい。
そして人々は、異常に同調圧力に弱く、権力を疑わずに、鵜呑みにしてしまう。
第二次世界大戦では、日本陸軍のプロパガンダに、すっかり乗せられたくせに、乗せられた事への反省はなく、時代が変わると、今度はがらっとアメリカ大歓迎になった歴史が物語っている。
日本を救う為には、この方法しかなかったと、当時の政治家は後に解説したが、恐ろしい事だ。
ほとんどのメディアは、相変らず、収益を追い続け、権力にすりよるわけで、時代が変わった等とは、とても云えない。
それでも、SNSの浸透で、権力とは何なのか?みんなで討論する場所が広がったのは良い事だが。
今回の、ジャニー喜多川の少年連続暴行事件の一連の報道は、マスコミの責任、日本の体質まで考えさせられる。
重大犯罪なのに、告発と報道を、スルーしたマスコミの責任、スクープの調査を最後までしないジャーナリズムは、権力に怯み、忖度し、やがて、自分たちに矛先が完全に向く前に、風化してしまうのを待っている気がしてならない。
マスクをしなくても良いとなった時に、あの悪名高き“安倍のマスク”に言及したマスコミは、何処もなかった。
あの、莫大な税金の無駄を、何故追求しないのか?他にも、沢山ある。コロナ関連だけでも、例えば、あまって捨てるワクチンの無駄を、もう追求する事もない。
このまま、忘れてしまって良いのだろうか?
メディアに騙されないような教育は、なされないものなのだろうか?
疑問に思っても同調圧力で、報道しない日本のマスコミは、大事な事には口チャック。
その口の上に、一度も洗われた事のない安倍のマスクが、いまだに張り付いている。


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