目白村だより13(フランスの想い出③)
日本では、バルビゾン派と言えば、J・F・ミレーという事になるが、彼が、これほど日本で有名だという事は、フランスではあまり知られていない。(発音がミレーではなく、ミィエだから、言っても、違う画家かと思われる)この画家を日本人が、とりわけ好むわけは、日本に油絵技法を本格的にもたらしたフォンタネージが、尊敬していたこともあるが、1913年創業の知識人御用達、岩波書店のマークが「種まく人」だったことが、決定的である。ついで、ミレーの生涯については、日本ではロマン・ロランの本が、有名かつ影響力があつた。ロマン・ロラン・・・ミケランジェロ、ベートーヴェン、トルストイ・・・そしてミレーと、あまたのヨーロッパの大芸術家の存在が本格的に日本に浸透していったのは、ロランのような存在があるからだ。日本の近代知識人の思想形成上にも影響が大きいロランは、ファンクラブがあったほど人気があり、大正~昭和初期にかけて良く訳されて、戦後も、3回全集が組まれた超人気作家だ。
映画になった作品も多い。代表的なのは、今井正が監督した「また逢う日まで(1950)」禁欲を選んだ、出兵間際の、戦争中の学生の恋愛映画で、ガラス越しのキスシーンは、日本映画史的にも有名な、象徴的な名シーンだ。この映画は、ロランの中編「ピエールとリュース」の翻案である。主演の岡田英次はフランス語を学んだ当時のインテリ俳優で、この作品は彼から今井への推奨であったという。
ところで、ミレーの存在が没後も注目され続けたのは、確かにロランの力が大きかったが、その前にアルフレッド・サンスィエの本があったという事は存外知られていない。(ヨーロッパでは常識である)
ミレー(1814~1875)・・・このシェルブールの農村出身のプライド高き田舎画家の才能を本当に見抜き、絵の販売まで引き受けたサンスィエ(1815~1877)。彼は、パリ生まれで、ルーブルの学芸主任だった事もあり、ミレー以外にもテオドール・ルソー他、いわゆるバルビゾン派の画家たちに光を与える事に、勢力を注いだ。私の偏愛する、ジョルジュ・ミッシェル(バルビゾンの画家たちよりもっと前に風景画に革新をもたらした)も、彼がいなかったらその存在は、今頃は、忘れられていたかもしれない。
ミレーの没後、サンスィエは、彼の業績とその稀有な精神性を湛える「ミレーの生涯」出版に、心血を注いだが、2年後に死去。しかし友人たちの援助で、その本は、多くの挿絵入りで、その後世に出る事が出来た。結果、それは、ミレーをいや、バルビゾン派を、世界に知らしめる大きな役割を持つことになった。ロランの名作も、その他数えきれぬ、世界中のミレーの研究本も、サンスィエ本がなかったら、多分生まれなかった事だろう。
仲良く並ぶ、ミレーとルソーの墓を見守る様に、サンスィエは、シャイー村(バルビゾン近郊)の墓地に彼らと眠っている。