目白村だより9(レジーヌ)

レジーヌ死す。

5月1日。私のメール一覧は、フランスからの訃報のメールで埋まった。レジーヌが亡くなったのだ。 
レジーヌ(1929~2022)・・・“夜の女王”と言われた、フランスの水商売と芸能界の頂上に、長い事君臨した彼女を知らないフランス人はまずいない。(“夜の女王”は、バルバラが彼女に捧げた曲のタイトルでもある)世界的「ナイトクラブ」のパイオニアというのが、正しいのかも知れない。
彼女の死を、フランスのマスコミは大きく報道、全国的なニュースとなったが、日本では、全く報道されなかった。実際レジーヌを知る日本人は驚くほど少ない。
もっとも私も、フランスに渡り、奇遇を得て彼女とアルバムでデュエットさせてもらうまで、(流石に名前は知っていたけれど)彼女の存在の意味を、知っていたとは言えない。
彼女の「Les petits papiers」(セルジュ・ゲンズブール)は、代表曲でもあるのだが、この曲の唄入れの時にエリック(プロデューサー)と打ち合わせして、二人でスタジオに乗り込むのが時間ギリギリで、大プロデューサーが、走り出したのには驚いた。後年、彼女に聞いたのだが、“時間”に遅れないのが信条なのだそうだ。彼女は、30分前に入り、外には発声練習の声が聴こえた。
エリックが、レコーディングの後「お前は、フランス最後の街頭歌手(ストリートシンガー)と共演したんだよ」と興奮気味に語った事も、覚えている。
パリには、メトロで歌っている人も(許可書が必要)、路上で歌っている人もいるので、“最後の”はオーバーでは、と思ったのだが、ピアフに代表される、民衆の中から立ち上がった独特の“連帯感”(フランス革命ともつながるエスプリ)を持っている街頭歌手は、確かに見当たらない。
レジーヌも子供の頃、散々路で歌ったというが、確かに権力に媚びない、パリ下町の市井のエスプリが、彼女の持ち味であった。その意味で、歴史的に彼女を捉えているエリックの話が本当だという事も、フランスに住んで時間を経た現在、良く分かるようになった。
ルネ・クレール「パリの屋根の下」(1930)のような、ある意味のんびりした時代は、第二次世界大戦で終わったのだ。レジーヌは年代的にも、その時代の生き証人の最後という意味だったのだ。

レジーヌは、ポーランド系ユダヤ人で、BARのクローク係から、有名クラブのママになり幾つものクラブの経営者として大成功、その最中、ゲンズブール、アズナブール他様々なトップミュージシャンの協力で、レコード歌手としても成功。…こう書いてくると、解りやすく日本の誰とか、引き合いに出したくなるが、これが見当たらない。
私は、最初彼女を、日本の超一流芸者の様な人物かと思っていたが、知れば知るほど、そのスケールでは追いつかない。歌手の面だけでも、銀座のクラブのママがCDを出した類の話ではまったくないのである。
そもそも、例えば京都のお茶屋とか、銀座のクラブや赤坂の御座敷文化と比較してもはじまらないのかもしれない。同じように、世界中のVIPが訪れるとは言っても、彼女はそう言った店を、幾つもの国をジェットで往復しながら、大きく育てては、それを転売してまた大きくしてきたのだ。各国の王族や皇族、それに当代を代表する芸術家やクリエイターが出入りする稀有なクラブを、世界のユダヤ系の大資本家が好んだこと事も大きいが、それは、なによりレジーヌのビジネスセンスとパリ下町の傳法な姉御の切符の良さがあったからだ。ある意味では、レジーヌはココ・シャネルの水商売版かもしれない。しかしレジーヌには、母親として、人間としての暖かさがある。


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