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目白村だより38bis(マリリン〜夢の翼〜)

 8月5日は彼女の命日だ。
拙書「天使と侍」からはじまりポスター展まで、マリリンの生き様、36年間の人生にここの処向き合い続けてきた。
 スターの夢の実現のために、彼女は人の何倍も努力した。その象徴がモンローウォークである。
おさな妻が、離婚して女優になろうと決意した18才頃。
自己分析と自己実現は最初なかなかうまく結びつかなかったが、その苦闘時代、22才の時(1949年)にチョイ役で出演した「Love Happy」でマリリンは自分の強力なペルソナを見つけた。
この映画はほとんど知られていないが、たった数分の登場でマリリンは見るものを釘付けにする。モンロー・ウォークをしているからだ。

「Love Happy」マリリンが若い!

現場(映画)で確認した武器の威力をマリリンは数年後「ナイアガラ」で使った。
そしてモンローウォークは一世を風靡した。
どうみてもB級映画が大ヒットしたのは、マリリンの作り上げた(エロス)だった。IQ168!恐るべし。
日本でもこの(エロス)は大問題で、成人指定映画ではなかったが親は子供には見せてくれなかった。  
それでも、モンローウォークは全国にあっというまにひろがった。
今回のポスター展覧で出会った目白に住む80代の方が、子供の頃に流行したモンローごっこを楽しそうに話してくれたが、それは社会現象だったのだ。
モンローごっことは、スタートからゴールまで、モンローウォークで速さを競う、競歩風な遊びだったらしい。

晩菊(成瀬巳喜男)1954

成瀬巳喜男の「晩菊」では、最後に名優、望月優子がモンローウォークをしてみせる有名なシーンがある。
アメリカに洗脳され、真似ばかりの構図は現代でも変わらないが、今見ると当時の日本はまだ希望に満ちていたなと思う。

 マリリンには数え切れないインタビューがあるが、亡くなる2日前に発売さた最後の(LIFE)の記事には感動する。
差別され続けた彼女が、差別のない世界、戦争の無い世界を訴えている。
誰もが平等である…それが彼女の本当の夢だった。
その夢は結局夢に終わったが、彼女がスターになればなるほど、社会に貢献したいとおもった奢りのない優しさを私は素晴らしいと思う。
インタビューの最後に「私を冗談にしないでね」と語った彼女がいじらしい。
マリリン没後の莫大なロイヤリティ収入はロンドンにあるアンナ・フロイトセンターに寄付されて、虐待された児童を研究し精神的に支える運動のために使われている。

 それから彼女は、なりたかった映画スターの夢は叶えたのに「幸せだったことは一度もない」ともいっている。
しかし映画スターのほうの夢は、彼女の意思とは関係なく一人歩きする。
(LGBT)(METOO)と、なにか性的な社会運動が盛り上がるたびに社会と繫がって、証人として担ぎだされる。
 彼女は、映画スターになれたから翼を得たが、現在でも、本当の夢の実現のために、その翼を使っているのだ。

 ☆お知らせ
猛暑解消モンロー・トーク    *シネマ・パフェ③
8月5日 open 19:00/start 19:30
https://nfb-240805.peatix.com
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前売2000円/当日2500円
会場:
PASSAGE bis! by ALL REVIEWS
https://passage.allreviews.jp/
神田神保町1-15-3 サンサイド神保町 3F

*TOMUYA’S NIGHT 9月26日

久し振りに歌います。



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