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目白村だより39 (アラン・ドロンの瞳①)

パリのひろみ嬢が帰国。
暑い中、目白まで11月の展示イヴェントの打ち合わせに来てくれた。
この夏はパリオリンピックの男子バスケットチームの世話で約一ト月、リール(会場がある)にいたそうである。
 彼女は昔から映画にたづさわっていて翻訳もすれば、コーデュネーター、時にはジャーナリストの一面も持つ。
私は彼女に聞いてみたいことがあった。それは先日亡くなったアラン・ドロンの晩年連れ添った日本人女性が同じ名前であり、間違えられないか?という疑問であった。
「しょつちゅう」という返事に妙になっとく。 
 話題の日本女性ひろみさんに年齢も近いし、同じ名前で映画関係で…となると、フランス人さえ冗談半分で聞いてくるのだな…と。

このアラン・ドロンという怪物俳優に、私は特別に興味を持つ。まず彼の映画の主題曲を3曲も歌っているし(特にハリウッド進出前は名作揃い)その名前で大量の商品群がある事に社会学的興味を覚える。ここまで徹底して自らを商品化した俳優を私は知らない。
 社会現象と言って良いほど人気があった映画俳優はそうはいない。まず映画が大ヒットしなくてはならないし、昨今はそうして生まれるスターも小粒になっている。アランはそんな中で特別の中の特別だ。
彼の残した財産も天文学的な数字で、生前に競売で整理した美術品もビックリするほどの名品絵画が含まれていた。特にルネサンスのデッサンを集めるなどの美意識は半端なくヴィスコンティあたりの影響が強かったのではないか。
 最初は若さと美貌、裸一つでのし上がった彼は、若い頃はホストように生きながら目的に邁進する享楽派だったようだ。 
その意味で「カサノヴァ最後の恋(1992)」という映画を興味深く見た記憶がある。

ドンファン+カサノヴァ=アラン・ドロン😂

 ナルシストだった彼には、加えてしたたかさがあった。 
転んでもただでは起きない(マフィア事件の時には、逆にそれを連想させる映画に出て大ヒットさせた)この才能は、決して幸せとは思えない子供時代から母親や再婚した義父との確執、海軍を経ての世界放浪の時に育っていったようだ。

秦早穂子&A.ドロン(’63頃)

「太陽がいっぱい」の主人公のあの青い澄んだ目が、見つめていたのはいつも自分の夢だけだった。
朝日新聞に掲載の秦早穂子さんの追悼文には、その事が書かれている。直接アランを知る人ならではの流石の名文である。(つづく)
   
   ☆御知らせ☆
久しぶりに歌います。

9月26日ZIMAGINE LIVE



 
 

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