立ち止まる時間をくれて
息子が熱を出した。今回はなかなか熱が下がらなくて、夫と交代に休みながらなんとか土日まで漕ぎつけた。職場の優しい雰囲気に甘えながら、休みと早退とを何日か取らせてもらった。
渦中は、本当必死だ。
なんでなかなか熱が下がらないんだろうという心配とか、最近私が忙しそうにしてたからストレスだったのかなという根拠のない理由付けとかをしながら息子の世話をする。
お休みが多くてたくさん迷惑をかけてしまったなという罪悪感のようなものを感じながら家事をして、明日は明後日はどうなるだろうか…と不安の先取もしてみる。
色々な感情で頭の中が埋め尽くされる感覚は毎度同じだ。純粋に子どもの心配だけをしていれば良いものの、そうはいかないことに対しても罪悪感が出てくる始末で。
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最初に熱を出してから5日目にようやく熱が下がって、いつものように遊ぶようになった。それでもまだ体調がよくないからか、いつもより長めのお昼寝を、ソファの上の私の腕の中でしていた。
回復の兆しが見えると本当にほっとする。
ここでようやく埋め尽くされていた頭は少しずつ休まってくる。
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まだ少し熱っぽさが残る身体を抱きながら、なんだか久々にゆっくり抱っこしたなあなんて思う。いつの間にか抱っこより自分で地に足をつけて遊ぶほうが好きになっていたなあなんて思う。
息子よ、母はいつも忙しいふりをして余計なことばかりを考えているのよ。例えば今日やった治療内容の反省だったり、ちょっとした後悔だったり。あとは心配してもしょうがないような、なるようにしかならないようなことへの心配だったり。最近二人目が欲しい気持ちもあるからそれについての不安や心配とか。あとは今日の夕飯のこととか…。全部大したことじゃないのに、心配なんかしてもどうにもならないのに、目の前のことを見ないで余計なことを考えているんだよ。
今現在は今しかなくて、もうあっという間に終わっていってしまうのに。お風呂でお湯をだして遊ぶあなたに「もったいないよ」って叱るけど、それよりももったいないことをしているんだよ。あーあ、今こんなにかわいい時なのにね…。
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これも毎回そうなのだけれど、波が過ぎ去ると立ち止まる時間を少しだけ与えてくれる。
患者さんを診ていても思うのだけれど、自分や家族の体の不調は大なり小なり時間の流れを変えてくれる。それは時に早くなったり、ゆっくりになったりするのだけど、日常とは異なる速さで時間が流れるのを感じて受け止めたとき、人は立ち止まって考えることができるんだと思う。そしてそれを持って、多くの人はまた日常の時間の流れへ帰っていく。
もう下がらない熱はこりごりだし、本人の辛さを目の前にしてこんなこと言うのもどうかと思うけど、立ち止まる時間をくれてありがとう、って思っている。