絵画の父と言われるジョットって何がすごいの
こんにちはとむです。
今日はジョットを紹介します。
ジョットは絵画の父という異名を持っています。
また、絵画の歴史はジョットから始まった、という言葉もあるくらい、絵画の出発点にいる画家です。
では、なぜ、ジョットが絵画の父とか、絵画の始まりのような言われ方をするのか、解説していきたいと思います。
ポイントは3つです。
1つ目は「実物写生をした」ということ。
2つ目は「量感を表現した」ということ。
3つ目は「絵画がドラマティックだ」ということ、です。
そして最後に諺、「『君はジョットの丸よりまるいね』ってどういう意味」について、
ジョットの最大の偉業「スクロヴェーニ礼拝堂」について話します。
まずは1つ目「実物写生をした」ということです。
ジョットは1266年から67年頃にフィレンツェ近郊のヴェスピニャーノという村で生まれました。
少年ジョットは羊の番をしながら目に見えるものを何でも写生をしていたといわれています。
ある時、画家のチマブーエが通りがかり、彼の絵に目を留めます。そして「一緒に来ないか」と誘ったといいます。ただこの件に関しては、諸説ありです。
大体天才には幼い頃の神童エピソードがついてきますよね。
チマブーエという画家はジョットの師匠だと言われる画家です。ジョットはチマブーエから絵画の技術を学ぶと同時に、よく自然を模倣したと言われています。つまり、実物をよく見て描くということを初めてした画家なのです。
ものを見て描くというのは当たり前のように思いますが、ジョット以前には絵画はそういった描き方はされませんでした。
ジョット以前の絵画は「ゴシック絵画」とか「ビザンチン絵画」と呼ばれています。
これらの絵画は、簡単に言えば、リアリティというものが全くないのです。
絵画に奥行きは無く平面的に描かれます。
人物も表情が無く、みんなスタンプで押したように画一的に描かれます。
そして、神様は遠くに居ても大きく描かれるし、人間は近くに居ても小さく描かれます。
つまり、偉大なものは大きく、そうでないものは小さくといった具合に遠近法は無視されて描かれるのです。
これは中世という時代が、キリスト教が世界の中心だったからといえます。
神様が主役の世界で、人間を大きく描くことはできないし、神様が俗物っぽく笑っている姿を描くわけにはいかなかったのです。
ジョットはこういった時代の束縛から一歩踏み出して、自然を手本に絵を描いた最初の画家だと言えるのです。
2つ目は
「量感を表現した」ということです。
これもいうなれば「実物写生をした」ということと同じなのですが、人物や物に量感を与えて描いた。つまり3次元空間を描いたということになります。
例えば、こちらの聖母の像は明らかに服の下にボリュームのある肉体があることを感じさせます。
そのことで、人間が絵画の中に存在感をもって居られるのです。
師匠であるチマブーエの聖母はまだ量感の表現には至っていません。服のひだは概念的に描かれています。それに比べてジョットの服は布の柔らかさまで感じます。
また、天使の重なり方も、チマブーエの場合は顔を見せたいがために縦に配置されています。そのせいで、地面の水平性が失われて、空間の表現が乏しいです。
それに比べてジョットの方は天使の顔が隠れていることより、自然に忠実な方を採用しています。天使が重なることによって奥行きが表現されているのです。
3つ目は「絵画がドラマティックだ」ということです。
さて、ジョットの絵はどれも、まるで舞台劇のワンシーンを見ているようです。登場人物にはそれぞれ役割があって、主役、脇役、モブキャラが役割を演じることで、シーンとしてのドラマ性が生まれているのです。これも絵画における革新的な表現と言えます。
この絵画は「ユダの接吻」というシーンです。
「最後の晩餐」でイエスに裏切りを予言されたユダは、ローマ兵のところへ行ってイエスを引き渡すと約束します。しかしローマ兵たちは、誰がイエスなのか分かりません。そこでユダは「私が口づけをしたものがイエスだ」と合図を送ることにしてイエスのもとへ行くのです。その頃イエスは弟子のペテロとヤコブとヨハネを連れてゲッセマネというところでお祈りをしていました。そこへユダが現れてイエスに口づけをします。
それを合図にローマ兵がなだれ込んできて、キリストを捕縛しようとします。それに応戦するペテロとヤコブとヨハネ。場は騒然となります。
そんな様子がドラマティックに描かれていると思いませんか。
今までの絵画がキリスト教の教えを図解した「説明書」ならばジョットの絵画は大人も子供も楽しくキリスト教を学べる「絵本」といったところでしょうか。
ジョットの凄さがわかってもらえたでしょうか。
「君はジョットの丸よりまるいね」
という諺があります。愚鈍な人を揶揄する言葉です。
ある時、法王が絵画制作のために優秀な画家を探すように家臣に申し付けます。
家臣はジョットの元を訪れて、法王の意向を伝えると、選考の参考にすると行ってデッサンを描くように言います。ジョットはそれに応じて紙を取り出すと、きれいな丸を描いて家臣に渡します。
家臣は「他にないでしょうか」と尋ねます。もっと本格的なデッサンを期待したのでしょう。
しかしジョットは「これで十分です」と言ったそうです。
家臣は不服そうにデッサンを受け取ると法王に送ったと言います。
それを見た法王は一発でジョットの才能を理解したと言います。
丸ひとつで法王を納得させたジョットはすごいですが、家臣もこのことで愚鈍な人の代表にさせられて可愛そうな気もします。
ジョットの仕事の中で最も素晴らしいのがイタリアのパドヴァにある「スクロヴェーニ礼拝堂」といって間違いないないでしょう。
正式な名前はローマ時代の円形闘技場の近くにあったことから「アレーナの慈愛の聖母聖堂」といいますが、建立者の名前を取って「スクロヴェーニ礼拝堂」というのが、一般的です。
スクロヴェーニ家は高利貸しを営む一家です。
当主のレジナルド・スクロヴェーニはダンテの「神曲」の地獄変の中で強欲で、醜いものとして描かれてしまいます。実名で晒すなんてダンテもひどいですよね。
父の汚名を晴らそうと息子のエンリコがこの礼拝堂を建てたと言われています。
礼拝堂の内部はジョットの絵画で埋め尽くされています。
正面には「受胎告知」が描かれていて、右回りに上段から「ヨアキム伝」左側の上段に「マリア伝」そして中段には「キリスト伝」が描かれ、まさに絵本のページをめくるように物語が展開されていくのです。さらに下段には美徳と悪徳を図像化した絵が並んでいるのです。先ほど紹介した「ユダの接吻」はこの中の「キリスト伝」に描かれています。
しかし、この絵はこれで終わりじゃありません。
お祈りを済ませて出口の方を振り向くと、扉の上には「最後の審判」が描かれているのです。礼拝者はキリストの審判を受けながら礼拝堂を出るという仕組みです。
さて、スクロヴェーニ礼拝堂ですが、日本でも見ることができます。
徳島県鳴門市にある「大塚国際美術館」です。
ここは世界中の名画が陶板に精密に焼き付けてあり、ほぼ原寸大で再現されています。
それを聞くと複製か……と思われる方もいると思いますが、複製のレベルが違います。ほぼ、本物と同じ状態で再現されているのと、しかもお触りOKなのです。
さらに、オリジナルの絵画は、今後必ず退色が進みます。
つまり100年後に見る絵画は、今僕らが見ている状態とは違う状態になっているのです。
それに比べて陶板は退色しません。
100年後にはオリジナルよりもオリジナルに近い状態で保存されていることを考えると、絵画を陶板に複製する意義は十分にありますよね。
この美術館には「スクロヴェーニ礼拝堂」がそのまま再現されています。ジョットの息吹を日本に居ながらに感じることができるので超おすすめです。
さて、
こういったジョットの革新的な技法によって絵画は新しい時代「ルネサンス」へ一歩を踏み出していきます。
ジョットがなぜ絵画の父と言われるのかご理解いただけたでしょうか。
では、今回のまとめです。
1つ目は「実物写生をした」ということ。
答えは自然の中にあるということですね。
2つ目は「量感を表現した」ということ。
このことで人間が存在感を持って絵画の中に居られるようなったのです。
3つ目は「絵画がドラマティックだ」ということ、です。
劇的というのは見るものの感情を揺さぶります。まさに芸術の出発点ですね。
それでは、アートで豊かな人生を。とむでした。
最後までご視聴ありがとうございました。
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