虹がおしえてくれたこと
デジ近note部水曜日担当のtomoko*です。
なんと早くも最終週になりました。
何を書こうかいろいろ考えていましたが、今回はいつか書きたいと思っていた息子について書きたいと思います。
息子はいま高校2年生で、全日制の高校に通っています。
中学2年で不登校に
中学2年の夏休み前、部活で酷使した足に大きな負担がかかり練習中に歩くのもやっとの状態になってしまいました。そこから歩くのが困難になり二学期から学校に行かなくなりました。
初めは、夏休み期間休んだら治ると思っていましたが、良くなるどころか痛くて立てず全く歩けない(歩こうとしない)状態でした。病院も何軒か行ってみましたがなかなか良くならず、心配してくれた部活の仲間が病院を紹介してくれたりもしましたが、良い結果が出ないからか…そのうちに病院に行くのもイヤがるようになりました。
部活は引退した3年生にかわり、これから試合に出て活躍すると言う時期でした。チーム戦の競技だったので他の部員の子たちにも迷惑をかけてしまったなと思います。本人も相当悔しかったのではないかと思います。他の保護者に状況を説明しようと思い、息子の出ていない試合会場に行ったらつらくて涙がでました。
学校生活も、ときどき松葉杖をつきながら通ったり通わなかったりしていましたが、そのうちに行かなくなりました。教室は3階まで階段を使用、教科によっては特別教室への移動があります。先生やクラスメイトから心配されたり、助けてもらうのがつらかったようです。
そんな生活がつづいて2年生も終わりかけのころ、ようやく定期テストだけは学校に受けに行くようになりました。ただし自分のクラスの教室ではなく別室で受けられるように配慮していただきました。
「高校には行きたい」
そう言い始めたので、3年生になったら登校するのかと、夫とひそかに期待を寄せていましたが結局そのまま自宅学習を続ける日々で、定期テストの時だけ登校するスタイルになりました。
日々の学習面は学校からのプリントと自習だけでは高校受験に対応するのが難しいと思われたので、家庭教師の先生に週2回来てもらうことにしました。先生は現役の大学生だったので、いろいろと話もできたのが良かったみたいです。
高校進学にあたりもう一つ懸念されたのが出席日数についてです。
学校には頑なに行きたくないと言うことだったので、家庭教師の先生が所属している塾が運営する通信制の中学に席を置き、スクーリングに通うことで、本来通っている中学校の出席扱いにしていただけるよう校長先生に許可をいただきました。学校の先生方にはイレギュラーな事態にも対応していただけて本当に助かりました。
治療の効果がではじめる
またこの頃、新しい整形外科の先生を紹介してもらえる機会がありました。いままでのことがあるので、あまり期待はせずに…でも諦めたくなかったのでダメ元で息子に促してみたところOKが出たので連れていきました。
今まで診てもらった病院とは違う治療法を提案され(保険外治療でした)試してみたところ、本当にゆっくりではありましたが成果が出始めました。最終的に3年生の二学期ごろには歩けるようになり、スクーリングもひとりで電車に乗って通えるほどになりました。
進路について
最初は高校進学に影響するからと、夫も私も躍起になって学校に行かせようとしていましたが、自宅での息子の様子を見ていると、勉強することがキラいではないこと、好きなことは親の私たちが驚くほどの知識量があること、進路先も先生からご提案いただき、通信制も含めていろいろあることを知れたので本人の希望に任せることにしました。私たちの時代の知識や先入観は捨てて、まっさらな状態にして今の情報を受け取ることにしました。
最終的には
息子が希望していた高校に無事合格をいただき、通うことになり今に至ります。歩けなくなったのがウソのように今では体育もできるようになりました。
こうして時系列で見ていくとその都度できることを次々とやって行ったように思われるかも知れませんが、実際そうでしたが、本当に手探りで停滞して何も進められなかった時期もありました。夫も私も経験したことがないケガや不登校の体験は、親としてもショックでしたし、本人にとっても先行き不透明で不安な日々を過ごしていたと思います。
虹が目の前に
でもなぜか大丈夫と、息子は歩けるようになって自分の道を歩んでいけると信じている自分もいました。担任の先生からプリントを受け取りに職員室を訪ねると時々泣いてしまうことがあったのですが、学校を出た途端目の前に大きな虹が出ていて励まされたことが数回あり、そのときは本当に救われる思いでした。
今にして思うと
息子は今でもそうですが、集団での学校生活があまり得意ではありません。学校に行きたくない気持ちが足のケガとなって現れた気もしています。私たち親が躍起になって学校に行かせようとしなくなった頃から、本人の気持ちも楽になってきたのか、足の回復が徐々に進んだように感じました。
部活で疲弊しながら練習を続けること、疲弊しているために勉強や趣味の探求がおろそかになって枯れてしまっていたこと、みんな一緒に行動し和をみださず過ごす学校生活が正しいとされること。。。息子はケガを通じてNOの悲鳴を上げていたのだと思います。
そして今は少しずつですが学校も変わってきているし、息子の考えを理解しようとしてくださる先生もいらっしゃいます。
不登校の時期に感謝したこと
息子が第一子だったことから、ちゃんと育てないと!と言う思いが強く、小さい頃は特に何かと口出しして怒ってばかりいました。息子が大好きなのに怒ってしまう💦その罪悪感がずっとありました。
そのせいか小学校の高学年ごろから反抗期のような、まともに会話もできない状態が続いていました。歩けなくなり学校に行かなくなってから最初のうちは甘えることをしませんでした。しかし私がそのあたりから価値観や考え方が大きく変わってきたころで、今までの怒りまくっていた自分を客観視できるようになっていました (ちょうどこの頃yujiさんの星読みに出会っています)そうすると息子に無駄に口出しすることもなくなり、徐々に関係が良好になっていきました。息子のケガは不運なことでしたが、自宅で療養する時間があったことで笑いのある会話もできるようになり、少しずつ理解が深まったことはこの先の宝物になりました。
高校を卒業したら一人暮らしを希望しているのであと一年ちょっとの時間を楽しく過ごせたら良いなと思います。そうはいっても小言を言いたくなることも時にはありますが...
最後まで読んでくださりありがとうございました。
この記事がどなたかのお役に立てれば幸いです。
デジ近note部に初めて参加しましたが、自分とのバチバチの対話の時間でした。部活に入っていなければ書けなかったかも知れません。
部長の彩乃さんが愛と笑いで全力アシストしてくださる温かい場所でした。部員さんとの交流やnoteを読ませてもらっている中で、自分にはない発想をもらえたり、新しい発見もあったり、大きな変化と気づきのあった1か月でした✨たくさんたくさんありがとうございました💕
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