思い通りの未来は自分で創る
感染性心内膜炎になって2年、なんとなく大丈夫
4月は誕生月であり、いろいろなことが押し寄せた月でもあります。
2年前に感染性心内膜炎になり、2カ月の入院と心臓の手術、1カ月の自宅療養でおおよそ3カ月間休職しました。まさに誕生日に主治医の診察で正式に「感染性心内膜炎」という病名が告げられ、会社では本人不在のまま定年再雇用。人生のビッグイベントが立て続けに起こりました。
忘れもしない病院で迎えた誕生日の当日。主治医の先生はカルテを見ながら
「あっ、きょうは誕生日ですねー」
あのとき先生は感染性心内膜炎と言ったから
きょうは感染記念日 (俵万智 〜サラダ記念日風)
と呑気なことを書いてしますが、ネットで検索していただければわかるとおり命にかかわる病気。いかに早く正しい診断をして対処するかが勝負の病気です。症状が出た翌日、コロナのさなかにもかかわらず緊急入院できたため対応が早く、心臓の弁が壊れて手術をしたぐらいですんでよかったです。
え? 健康な人から心臓の弁が壊れて手術なんて、めっちゃ大変なことです。院内死亡率15%〜20%命。復職できたのはやはりラッキーとだったのでしょう。当時のようすを書いたnoteを読み返してみると、やっぱりマジ大変でした。
2年経ったいま、心臓の薬を飲みながら定期的に検診をうけていますが、特に心臓に問題は起きていません。ただ胸骨を切開する開胸手術をしている影響で、いまだに胸の圧迫感・違和感は続いています。開胸手術をした人の多くにみられる後遺症的なもので、気長につきあうしかありません。
社会復帰してからも自分の病気がこれからどんな影響があるのか気になるので、同じ病気をされた方、そのほかの心疾患の方、など機会を見つけてお話を聞いています。
先日も、お子さんが先天性の心疾患で手術を受けなくてはならず将来のことを不安に思っているお母さんとお話をしました。60歳を過ぎ手術後に職場復帰していることがわかると、少しホットされたようです。
不安というものは、きっと未来に起こるできごとが想像できないからだと思います。具体的なことを思い描くことができれば不安は和らぐのでしょう。その具体的なカタチとして自分がお役にたったのかな。
「未来を予測する最良の方法は、それを発明してしまうことだ」
(The best way to predict the future is to invent it.)アラン・ケイ
アランケイとはパーソナルコンピュータの概念を提唱した人で、ゼロックスのパロアルト研究所時代にDynaBook(GUIを搭載した片手に持てるコンピュータ)の概念を作り、パロアルト研究所を見学する機会を得たスティーブ・ジョブスが、これに着想を得て(ぱくった)Macintoshを作ったのは有名な話。GUIで操作ができ持ち歩くことのできる高性能のコンピュータは、もう当たり前のものになった。つまりアランケイが予測した未来は、自分で作ったことで現実のものになりました。
障がい者差別解消法の改正で合理的な配慮が義務化された。障がい者認定を受けている人だけでなく、サービスを利用するときに何かしらの障がいがある場合、サービスを提供する事業者は、可能な限り利用を妨げないような配慮を義務化しますよ、ついては利用者との対話をちゃんとしてねというのが趣旨(専門家でないので間違っていたらごめんなさい)
障がいは多様で「どんなことが障がいになっているか」は、本当のところ当事者でないとわからないと思っています。サービスを提供するほうもその気持ちはあっても誰に聞けばいいのかわかならいというのが本音でしょう。想像しながら試行錯誤して、ときにはクレーム(改善のヒント)を受けながら改良するしかありません。当事者も半ば諦めていたり、言いだしづらかったり。大変なことでは十分承知ですが、当事者が声を上げ社会の仕組みを変えなければいけない、とも思っています。
もうずいぶん昔のこと。多発性硬化症のため高校生から車いす生活を余儀なくされたことをきっかけに、多発性硬化症の患者会を立ち上げ家族を含め病気に関わる不安を解消、社会に声を発信た人を取材したとき、いまでも憶えているのは「してもらうだけの人生じゃなく、してあげられる人生にしたい」ようなことを言ってことが記憶に残っています。
そこでアランケイが言った「未来を予測する最良の方法は、それを発明してしまうことだ」がどう関係あるのって話に戻るわけですが。多発性硬化症の患者会を立ち上げた彼女は、自分が思い描いた未来を自分で作り始めた人だと思います。紆余曲折、時間がかかるかもしれませんが理想の未来を作るために行動をする人が一人でも増えればいいと思います。