だいじょうぶの言い方
こんにちわ!週明け月曜日の希望に溢れるポジティブ感と、8月31日という夏の終わりを感じる切なさが同時に訪れているせいで自分のメンタルが大幅に揺れ動いている亀岡です。
#ヘラってなあに ?
さて、今日は西野さんがこの春noteに綴っていたご自身の回顧録、「帝国に挑む」のおそらく最終話であろう第9話〜志村けん〜からの学びを書きたいと思います。
今回は元になる教材がそれほどボリューミーなものではないので、いきなり自分が感銘を受けたポイントから入らせてもらいます。
まず、全体構成の美しさに感動します。
この帝国に挑むというシリーズ自体の趣旨は、エンタメで世界を獲るために挑戦を続ける西野さんが、走り続け、そのためのインプットをし続けて、新しいものを発表し続ける中で、自分が忘れたくないもの、忘れてはいけない想いを忘備録として残しているもの、と解釈してます。
冒頭は幼少期の回想から入ります。「おさないころ」を文章で表現する際、いつも優しい表現をしている西野さんの文体がより優しく、素朴になっているところが自然とものがたりの中に入りやすくさせてくれます。
西野さんには珍しい恋愛的な匂いをさせるエピソードを織り交ぜ、ノスタルジックな話が続いた後に、この時期日本最大のトピックと言っていい「志村けんの死去」に繋がっていきます。
西野さんは幼少期自分の挑戦を後押ししてくれた志村けんさんの「だいじょうぶだぁ」という言葉を、今世間の人々がコロナ時代に立ち向かう挑戦をする言葉としてバトンを受け取り、「大丈夫」と記してあります。
ここ、西野さんだけが伝えられる「大丈夫」の言い方を考えてるんだろうな〜と思うとグッときました。
「大丈夫」をあの人柄と、キャラクターと、言い方、声のトーンで唯一無二の表現にした志村けん。
志村けんさんがあの時代の国民に与えたように、でも西野亮廣にしか表現できない「大丈夫」を探す挑戦をしてる。
この結びの言葉が「だいじょうぶだぁ」では無いところに一番の学びを感じました。
自分自身がオリジナルになるまでの過程って、やっぱり自分が影響を受けたものの積み重ねでしかなくて、本当に自分が「無」から作り上げられるものなんて今の時代ひとつも無いんだと思います。
ゼロからイチを生み出す難しさはよく語られますが、本当はもう誰も実現できない。
でも、そんな必要ないんだろうなとも思います。
ゼロからイチを生み出したことに価値を感じるのではなく、自分しかできないことかどうかを問い続ける生き方をしたいなと改めて感じさせてくれた良文でした。
今日もありがとうございました。
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