夏の終わりがさみしい理由。
私は今、シアトルにいます。
前回来た時にコーヒーシーンが気に入ったとか、コーヒーめぐりとか、理由をつけて来たけど、実際のところ友達が呼んでくれたから、来ちゃいました。
シアトルに来て3日目のお昼。
モーニングコーヒーを外で取り、家に戻ってきて何をするわけでもなく、ブログを書いたり、写真を整理したり、犬と遊んでみたりしています。
友達はシステムエンジニアなので、おうちで仕事をしていて、ディナーに付き合ってくれたり、街から私をピックアップしに迎えに来てくれたりします。バンスリ(民族楽器の一種でフルートのようなもの)を一緒に練習したりします。
友達は仕事をしながら、少ない会話をときどきして、同じリビングにいて、今日は少し涼しくなった風を感じて、さみしい気持ちでいます。
まだあと半分以上滞在時間は残っているのに、もう寂しい。
大人になってから、人と分かれても自分の力でどうにか会うことができると分かっているから、一生の別れと思わない限りはそんなにさみしいと思うことはなくなりました。
でも、子どもの頃のように、バイバイしたらもう会えないんじゃないかとわんわん泣いてしまった時のような、そんな気持ちでいます。
2年前、そんな子どもじみた気持ちになったことがあります。
ボストンに短期留学し、ひと夏を共に過ごした友達と別れる時。
今日みたいに、少し秋の気配を感じる涼しい日、世界中から集まったみんながそれぞれの故郷に帰った日。
ちょうど昨日、その時の英語の先生がフェイスブックに「あれから二年経ったよ!信じられない!」と投稿していました。
今思い出してもさみしくてたまらない。
今日はちょっと涼しいからいけないんだな。夏の終わりを思い出してしまう。
明日はポートランド、週末はマウントレーニアへ行く予定です。
ランチに作ってくれたスパイシーなカレー。