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10/25(金)21:00~おにょTV配信    「(水を)鍛えるとは?」




序文


”水を鍛える”という表現をするのですが、それは”蒸留と発酵を繰り返す”ことを意味しています。
では蒸留と発酵を繰り返すとは何を意味しているのでしょう?
それは、”ナノ化して、*ミクロ(ナノ)共鳴させる”ことを意味します。

*ここではあえて真空蒸留ではなく蒸留という言葉に留めました。真空蒸留とは、真空からエネルギーを水に転写するという意味も持ちますので概念的に別物として扱う事としました。+

配信URLはこちらになります。

*ミクロ共鳴とは何か?を説明しなくてはなりませんが、ピタゴラスカンマが無い世界の共鳴法則のことで、ピタゴラスカンマが存在するマクロ共鳴と区別します。
新しい概念なので後に詳しく説明します。

ここで、「鍛える」という概念を水だけでなく木火土金水、エーテル、すべてのエレメントに拡張することを考えます。
また、すべてのエレメントの合成である身体についても、「鍛える」の本当の意味を考えます。
アセンションとは「身体の*マクロ形状を保ったまま、ミクロ共鳴を達成すること」ということが出来ます。
また、「フォノグラムにおける等音面製作は、マクロ形状を保ったまま、ミクロ共鳴を実現する技法である」というシャープな言い回しが可能になります。

*マクロ形状を保ったままという意味について
蒸留や発酵のように、一度ナノ化する過程を踏まずに、ミクロ共鳴を可能にすること。
人間の身体やヴァイオリンを、いったんナノ化してバラバラにしてもう一度元の形にすることは不可能。

結論として、ナノ化(量子化)が進むと、音響対称性が上がりピタゴラスカンマがゼロに近づくことが言えます。
プランク定数とピタゴラスカンマは反比例関係にあるということです。

1:「鍛える」の概念を木火土金水、エーテル、すべてのエレメントに拡張する

重い腰を上げて、数か月前から災害対策を始めていたのですが、いつものようにエスカレートして
"もし、すべての文明が消え去ってしまったらどこから始めなければならないのか?"
ということを考えるようになりました。
オフグリッドという言葉もその時に知りました。
電気、ガス、水道が、もし無くなったとしたら、我々はどのようにして生きていけばよいだろうか?

そんな折、篠原さんからロケットストーブの話を伺う機会がありました。
夏なのにストーブのことを考えていたのです。


自作のロケットストーブ


ロケットストーブDIYから、様々な気づきが起こり、「水を鍛える」という概念が、「ナノ化してミクロ共鳴を起こすこと」という結論に一気に到達することが出来ました。

ロケットストーブとは、一斗缶と煙突を組み合わせたものであり、一斗缶とエントツの隙間には蓄熱のために*パーライトモルタルを埋めます。

パーライトとは軽石のようなもので、多孔質で空気の層ができ、そこに蓄熱が起こります。
それをモルタルで固めたものがパーライトモルタルです。

*水の量を間違えて、失敗して、この大量のモルタルをどこに捨てればいいのか?という問題が発生しました。
実際には分量は間違えておらず、捨てずに済んだのですが、この経験は産業廃棄物について考えさせられる大きな契機になりました。
後でこれについても触れます。

見慣れた煙突が、温度勾配を利用して気流を起こす装置だと気が付いたとき、少なからず感動を覚えました。
蒸留の気流も温度勾配を利用して作られます。

ここからは、何かに誘導されるようにネットサーフィンしていきました。

一斗缶ストーブ → 一斗缶で作る炭 → 紀州備長炭の炭焼き → たたら製鉄 →日本刀

という風に、なぜか、たたら製鉄に誘われてしまいました。

自分も仕事柄、ノミや刃物を使いますから、玉鋼に憧れがありました。
たたら製鉄とは玉鋼を作る日本古来の製鉄法なのです。

たたら製鉄を、どうしても自分もやってみたいという欲求が、「鍛える」の一般化に繋がっていきました。

2:たたら製鉄


たたら製鉄とは、海岸で砂鉄を集め、土で炉を作り、木炭と砂鉄をミルフィーユ上にして入れてゆき、1200度くらいの温度で製鉄していきます。
磁石さえあれば、海岸で砂鉄を集めさえすれば、文明崩壊後も、鉄器を作ることが出来るということなのです。
YouTube上でも、様々な方がたたら製鉄に挑戦されています。
いろいろ動画を観て研究したのですが、耐火煉瓦を積み上げてたたら炉を作るのが一般的なようです。
真空蒸留器も、もう少し改良したいので、ガラス管を曲げたり、溶接できればいいなと考えていましたので溶鉱炉を作ることにも関心がありました。

溶鉱炉の耐火温度はどのくらいまでのものがあるのだろうか?
といろいろ調べたのですが、なんと、能登の七輪が最強の耐火性を持つ炉であることが解りました。
珪藻土というもので出来ているのですが、耐火温度が1700度あります。
ちなみに耐火煉瓦は1200度、アサヒキャスパーは1500度です。
この耐火性の違いがどこにあるかと調べているとあることに気が付きました。
それは、「土を捏ねて、寝かせる」という工程にありました。

この、「捏ねて、寝かせる」という工程は、いったい何をしているのだろうか?
これは、土を土壌菌によって発酵させているのだなと思いました。
つまり、ナノ化してミクロ共鳴(結晶化)させているのです。
土を鍛えている!
焼き物なども焼き入れで割れてしまったり、失敗する理由は、土の粗さのムラがあるときに起こります。
しっかりと土がパウダー状(ナノ化)になっていれば、耐火性が増すということなのです。
耐火性の秘密も、ナノ化とミクロ共鳴にあるということなのです。

話が前後しますが、たたら製鉄で出来た玉鋼を、刀匠が日本刀に鍛えるシーンを何度も見ていました。
玉鋼を、叩いては折り返し、叩いては折り返し、鉄を鍛えていきます。
文字通り、鍛えているのですが、こうしてできた和鉄は、西洋式の製鉄にはない性質を持っています。
それは柔らかく、強く、錆びにくいという性質です。

なぜそうなのかは現代の科学でははっきりとはわからないのですが、顕微鏡で断面を調べると、炭素の層と鉄の層がまんべんなく均等に配列していることが観察されるようです。
これも、ナノ化とミクロ共鳴と考えることが出来ます。
また、たたら製鉄は1200℃くらいで行われますが、製鉄法の中では低温製鉄らしいです。
ここにも大きな秘密があると思います。

”たたら製鉄は1500度以下の低温度でおこなう製鉄法で、その熱源には木炭が使用される。(木炭を燃料、粘土製の炉だからこその低温度。高炉鉄はコークスを燃料としているので、2000度以上。そして高い炭素量と不純物を含んでいる。二次精錬をおこなって不純物を除去されているが、これらを完全に除去することはできない”

・現代の高炉鉄(洋鋼)に対し、たたら製鉄で産み出される鉄をケラ(玉鋼)と言う。
・ケラ(玉鋼)は不純物が極めて少なく、その清浄性は現代の技術を結集しても作り出すことのできないもの。
・熱処理後の研摩面の美しさは他に類がない⇒日本刀等もこの製鉄法なくしてはあり得ない。

*インドには1000年以上も錆びていない鉄柱があるとのことです。

1600年錆びないデリーの鉄柱


叩いては折り返す工程で「酸素を透き込む」ことで内部と外部の酸素含有量を等しくすることで錆びない現象が起きると篠原さんに伺いました。
これに関しては一般の教科書にはどこを探しても載っていないとのことです。
内圧と外圧を無くすことで時間変化を無くすことに繋がる。

3:西洋科学と神事の違い


たたら製鉄で思い出されるのが、ジブリ映画の「もののけ姫」です。
山を壊し、自然を切り崩すことで、たたら場を作る文明派と、自然との調和を守る反対派の縮図になっております。
たたら製鉄であっても、自然を壊すことに違いはないかもしれませんが、
製鉄作業の前には、必ず鉄の神様に祝詞を上げ、たたら製鉄自体が神事の側面を持っているように思えます。
ものづくりが神事でるという考えは西洋の物質科学には決してないものです。
また、たたら製鉄の炉は、土を固めたもので毎回作られては、壊します。
自然のものだけで製鉄しているので、産業廃棄物が全く出ないのです。
西洋式の製鉄は、大量生産が可能ではありますが、和鉄のような超耐久消費財ではなく、すぐに錆びていきます。
大量消費、大量生産とリサイクルはセットであり、そのたび度に大量の産業廃棄物が産出されます。
これらのもとをたどりますと、結局はお金儲けに行き着くのではないでしょうか?
いい加減にお金の世も終わりにしないと、大自然が黙ってはいない時節が到来しようとしています。
超耐久消費財など作られたら、お金儲けができないのですが、自然と共生するという意味においてはとても大事な考え方になります。
私が、この蒸留の会で示したいことの一つに『真空蒸留の過程を見つめることで、大自然の働きによって我々は生かされているだけである』ということに気が付いてほしいという気持ちがあります。
たらら製鉄の過程で、鉄から不純物を取り出すために貝殻を砂鉄に混ぜるということをします。
これは、鉄の中にある不純物とカルシウムを化学反応させ、吸着させて鉄から分離させるためで、そうしてできたものを「ノロ(不純物)」といいます。
化学知識のない時代に、いったいどのようにして、貝殻を混ぜる考えに至ったのか?
そもそも、たたら製鉄というものをどうして知り得たのか?
全くの謎です。

4:いったいどこから製鉄法をおろすことが出来たのか?


製鉄法の歴史は諸説あり、いったい何が本当か解りません。
歴史学においては本当を確かめる方法はないのではないかと思われます。
発明や発見は、少なくとも、それが普遍性を持つものであれば、必ず再発見されるという意味において、歴史は関係ないと私は思っています。
したがって、伝統文化の継承などは、それが途絶えたとしても、必ず再発見され、紡いでいかれます。
本当に大切なものは、誰かが必死に残そうとしなくても勝手に残っていくとも考えられます。

「音楽の世界で,未だに大きな謎になっているのは,過去何世紀かの名高いヴァイオリン作りたちが,制作上の知識としての物理学,音響学より以上のモノはもちあわせていないにもかかわらず,どうして今でもその美しい音色のために,宝物のように扱われる楽器を生み出せたのかということである.」 ヴァイオリンの音響学  C.M. ハッチンス ([1])

この問題意識は、私がフォノグラム研究を開始した動機の一つですが、たたら製鉄法にも同じことが言えます。

おそらく、いろいろと試行錯誤しているうちに、無意識からインスピレーションをおろした結果であると考えた方が自然です。

菌の発酵現象、お酒も人間が作ったのではなく、勝手に出来てしまったのに気が付いただけです。
レンガも土が焼けて勝手に出来てしまうのです。
勝手に出来てしまう・・・自然の恵みです。
我々は実は何もしていないのですが、自分が何かしたような気になってしまうのです。

5:ナノ世界には意識が関与する


科学の要件は再現であるということに異論はありませんが、ナノ世界においては、当てはまりません。
誰がやったのか?が問題になります。
真空蒸留や菌ちゃん水槽は誰がやっても同じになるかというと、全く同じ条件でやったとしても出来る人と出来ない人とに別れます。
これは、ナノ世界においては、その人の意識が関与してしまい、特に水に関しては、それが顕著に起こります。
どんな名水があったとしても、それをお金儲けに利用しようとした瞬間に、その人の意識(前頭葉電磁渦巻フォノグラム)が水に転写してしまい、汚れた水になってしまいます。
結局は「誰が造ったか?が重要であり、腐った土地にいくら種をまいても芽は出ない」ということなのです。

水は語るの江本さんの実験が再現性が無いというのは、人の意識が関与してしまうからなのです。
「心を込めて作る」のではなく「無心」で作ったものが良いものです。
「無心」に到達するまでの修行が試行錯誤であり、それなくしてよい物は作れません。
真空蒸留も一度やってみただけで失敗したとしても、めげないで試行錯誤して欲しいです。
出来たものが今の自分を現しています。

鍛えるとは、発酵と蒸留を繰り返すことであり、それはナノ化とミクロ共鳴を意味します。
そしてナノ化した世界は、意識が関与する世界であり、物質科学の再現性の実現は、誰がやったかが問題になります。
この意識が関与するナノ世界こそ、神事の対象とする科学なのです。
西洋の物質科学にはこのような考えは全くなく、むしろオカルトと片付けてしまいます。
神事を無くした科学が、西洋物質科学と言ってもいいかもしれません。
ナノサイエンスは日本のお家芸という話を聞いたことがありますが、日本人の民族性と大いに関係があるのではないかと思います。

こう考えていきますと、明治維新以降の日本の教育なども、日本文化の撲滅を意図して作られているようにしか思えないのです。

鍛えるとは?その1では、主に具体例から帰納法的に研究を進めてきました。
次回、その2では、より抽象度を高め、ミクロ共鳴などの汎用性の高い概念を形成をしていく過程を説明していきます。

6:次回目次

6,ナノ化とミクロ共鳴
7,音響対称性を高くすること=ナノ化してミクロ共鳴すること
8,ℏ*℘=ℴ
9,五角形、六角形、フラーレン、マカバ
10,壊せないハニカム構造と安倍晴明
11,水の構造と情報記憶
12,アセンションとは、身体のナノ化とミクロ共鳴化である

つづく

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