『52ヘルツのクジラたち』を読んで感じたこと
今日は私が読んだ『52ヘルツのクジラたち』(町田そのこ)の感想を書きたいと思う。
この本は新聞の広告でずっと気になっていたが、図書館にはものすごい数の予約があった。
ずっと、「文庫版が出ればいいのにな」と思っていたところ、やっと文庫本の広告を目にしたため、日曜日に買って読んでみることにした。
虐待の話が出てきたりするが、私なりに感じたことがあった。
今回は、この本を読んで私が感じたことを綴っていきたいと思う。
1.「魂の番(つがい):愛を注ぎ注がれるような、たったひとりの存在のこと」が欲しい
私には一時期信頼できる人がいた。何をやっても器用にこなす人で、尊敬していた。
しかし、ブラックジョークを言ったり、私を馬鹿にしたようなことを言うようになり、その人から離れた。年も20個以上離れているし、それはそれでよかったと思っている。
本来私の52ヘルツの声は、家族に届いてほしいと思っている。しかし、家族には家族の人生があり、私には私の人生があるのだとも思う。
年に数回しか会わないが、家族なのに理解が足りていないと感じている。家族以外に分かってくれる人がいればと思うが、これ以上傷つきたくはないという思いがある。
障がいを抱えてまで生れてきたくなんてなかったが、魂の番がいればいいのになと思う。
2.私の子供時代は愛情に包まれていた
この本には、虐待の話が出てきたが、少なくとも自分の親は毒親ではなくてよかったと思っている。
物心がついたときには妹がいて、いつも私が怒られるため、長子は損だと思っていた。
今でも、妹一家が一番かわいいんだろうと感じている。
しかし、共に釣り糸を垂れた父との思い出や、クリスマスに大勢で集まった思い出がある。
大人になるにつれ、私は私の世界を持つようになり、父や母との考え方にズレが生じたが、心に残る思い出を作れたことは幸いである。
3.貴瑚(キコ)と美晴の友情が羨ましい
高校時代の友だちだという貴瑚と美晴の友情には胸を打たれた。「誰よりも大切な友達だよ」という最後のシーンには、私もそう言える友達が欲しいと思った。
これまで仲間に恵まれなかったが、もう40をすぎているし、これ以上傷つきたくはないので半ばあきらめている。
相手の自己中が許せなかったり、深くは関わりたくない人に限って距離感が近すぎて縁を切ってきたが、貴瑚と美晴のような友人を持つには、与えることも大切だと感じた。