歩ける人のために作られた世界
もうすぐ5才になるリオナは生まれてからずーっとリハビリをうけている。
8週間母子でリハビリ入院したことをきっかけに、リオナの人生にリハビリというものは一生続けていかないといけないものだと理解した。
8週間を母子で1回。
4週間を母子で2回。
股関節のオペで母子で12週間。
その間たくさんのリハビリに励む母子に出会った。
私もリハビリオタクだったのでめちゃくちゃ楽しみながらやっていた。
病室からリハビリの部屋へ向かう途中、子どもの後ろから鬼のようにワーワーと言っている母親がいた。
リハビリの部屋へ向かうために子どもが一生懸命歩いていた。
もちろん、スタスタ歩けるわけでもないので、リハビリ部屋の入り口はリハビリが終わった母子と、私達親子と同様リハビリを始める親子が混雑。
「すみません。」
と、その親子の横を通り抜けるしかない。
するとその母親が
「すみません、この子が歩けるのにちゃんと歩かへんから!」
と言い放った。
そして夜になると親子で自主練に励む母子たち。
みんなそれぞれの歩行器を使って、暗い病院内を要は歩くための練習をする。
私も何となくリオナとしていたが毎度こんなん。
3歳、寝てます。
4歳大あくびをする余裕。
なので
4歳でも寝てました。笑
リハビリをがんばれば歩くことができるかもしれない子どもたちと、
どれだけがんばっても歩くという機能を脳に備えていないリオナとは
明らかに行うリハビリが違う。
リハビリの部屋にある子どもたちのおもちゃ。
特にどのおもちゃにも興味を示さないリオナにとって、魅力的なおもちゃもなく、無音も寂しいので何となくお歌が流れる絵本を流してみたりする。
一方でリハビリ部屋で、あのおもちゃがいい、次はこのおもちゃで遊びたいと選べる子どもたち。
意思表示が自分でできる子どもたちはおもちゃを取りに行くのもリハビリのひとつとなる。
そんな中ふつふつと湧いてきた私の考えは
「そんなに歩けなければいけないものなのか?」
確かに、今の日本は歩ける人のために作られている世界である。
ここで生きていくには歩けた方が良い。
車イスでも生活できるけど、やっぱり自分で歩けたほうが生きやすいのである。
でも歩くことが「当たり前」になりすぎてはいないか。
歩くためにリハビリの時間を使っている子どもたち、
その間歩ける子どもたちは寝転がって家でゲームしているかもしれない。
歩けなければ生きにくい社会。
大人たちの意識の中に「歩けなければいけない」という思いが根付きすぎている。
1才を過ぎた子どもが歩かないと、回りの大人たちは子どもに何か障害があるのではないかと心配し始める。
そしてもしかしたら歩けるかもしれないと言われた障害児の親は必死に子どもを歩かせようとする。
じゃぁうちはどうか。
何をどうしても歩けない。
がんばっても歩けることはない。
そして私もリオナに「歩けるようになること」を目標にしていない。
ありのままのリオナの状態で、どう社会に参加していくかということを考える。
2歳間近の姪が人差し指を器用に使ってスマホを操作するのに、重度障害児リオナにはまだまだアナログで生きていくことをなぜか大人たちは強要する。
これを掴め
これを叩け
やたらと感触遊びにこだわる
いくつになってもリオナにデジタルツールで遊ぼうとはならない
なぜならそこに到達するまでにできなければいけないとされていることができていないから。
でも、そんなの無視してデジタルツールをリオナの生活に取り入れることにした私
ボタン1つでおもちゃを動くようにスイッチを使い始めた
走る車も足で踏めないから手で押したら進むように改造した。
そしたらいつもと違う顔を見せ始めた。
今まで受け身でしたかできなかったことばかりだったのが
スイッチを押して何かを体感することでリオナは世界が広がり始めた。
周りの大人たちも思わず笑っちゃう。
重度障害児がデジタルツール?なんてほど遠いよ
と思っていた大人たちが
デジタルツールによって「リオナの意思」が見えることで
周りの人たちの反応や対応も変わっていった。
今では動く車に乗ると
嫌がるどころかしっかりと目を開けて走るのを待っている
子どもたちそれぞれに合ったデジタルツールを使うことで一気に世界が変わり、回りの反応も変わる。
日々のリハビリも大切だが、周りの大人たちがどれだけ知識を持ち寄ってその子の「意思表示」を実現させるかはかかわる支援者にかかっている。
勝手なアフレコをしている場合ではない。
本当にその子の意思表示を実現させるなら、大人たちがまずは「知ること」から始めなければならない。
そして子どもたちにはどんどん「できる」「わかる」という体験をさせてあげてほしい。
そしてコミュニケーションを生み出す努力をしてほしい。
そしたら子どもたちも楽しくなる。
そのきっかけを目指したイベント
定員はおかげさまで満員に!
(満席になりました。第二部のフリー入場も締め切りました。)
ですが資金がまだ半分足りておりません。
知ろうとする大人たち
体験させてあげたいという思い持った大人たち
我が子の意思表示を実現させたいと参加する保護者たち
目の前の重度障害児に何ができるかと考えると支援者たち
たくさんの方が集まります。
歩けなくてもできることはある。
できることで広がる世界がある。
みなさまのご支援お願いいたします。