「自分で仕事をやっていきたい人」にとって大切なこと。
私には「推し坊主」がいる。
つまり、好きなお坊さんがいる。
昨日そのお坊さんに、息子の七五三の祈祷をやってもらった。
その時、今の私に大切なことを教えてもらったような気がしたので、そのことについて書こうと思う。
***
そのお坊さんは、Kくんと言う。
Kくんは、
旦那さんの大学時代のサークルの後輩だ。
私がKくんとはじめて会ったのは私の結婚式の時で、その時は挨拶くらいしか言葉を交わさなかった。それからしばらくして、息子がまだまだ赤ちゃんだったときにお家に遊びに来てくれた。
たぶんKくんはとってもシャイで、ほとんどはじめましての「先輩の妻」と話すのはすごく緊張したんだろう。その証拠に、目が全く合わなかった。
でも緊張しながらも一生懸命話してくれているのがすごくわかって、私はそんなKくんをなんかいいな、と思った。
今、彼女募集中でがんばっているという話とか、お坊さんという職業柄、結婚相手には嫁いでもらっていろいろ手伝ってもらうことになるから、なかなかむずかしい部分もあるというような話をしていた。
「たしかに。よっぽど好きな相手じゃない限り、寺に嫁ぐのは覚悟がいるかも。いろいろやらないといけないことも多そうやもんね。」
というようなことを私が言うと
「でも、お嫁さんもタダで働くわけじゃなくて、時給がでるんですよ。」
と教えてくれたKくん。「スーパーでパートするよりもいいかも!」と私が言うと、Kくんはちょっぴり嬉しそうにほほえんでいた。
その日Kくんは私にとって
「ちょっぴりシャイでかわいい、
旦那さんの後輩」
になった。
それからしばらく経った、
ある夏のお盆のこと。
私の実家には、毎年お盆にお坊さんがお経をあげに来る。その家族行事に私と旦那さんと息子も参加するために実家に集まっていた。
お坊さんが大幅に予定時間を遅れていたので、みんなソワソワしていた。
すると、2階の出窓から外を見ていた旦那さんが「えー!!!!????」と大声をあげた。ふだん声が小さめの旦那さんの、おそらく私が聞いたことのある中で1番大きな声だったから、びっくりした。
「Kくんやー!!!!!」
その日、実家でお経をあげてくれるお坊さんは、まさかのKくんだったのだ。
Kくんももちろんびっくりしていたし「先輩家族の前でお経をあげる心の準備」なんてできていなかったんだと思う。
わかりやすく緊張してお経をあげるKくんを、みんなで温かく見守った。「うめさん(旦那さん)の後輩なら、これから気を使わなくていいから楽やわ〜」と父と母は嬉しそうだった。
その次の年のお盆は、Kくんのお父さんがお経をあげに来てくれて、その次の年はKくんがお経をあげに来てくれた。
2年の間に、素人の私がわかるくらいにKくんのお経は上達していた。
そしてKくんはお経を終えると、仏壇にクルッと背を向けて、私たちにこう言った。
「実は彼女ができまして。」
突然の報告に一瞬びっくりしたけれど、みんなで「おめでとう!」と祝福した。
「なんか雰囲気が明るくなったんちゃう?!やっぱり彼女ができるとちがうわ〜!!」
わりとズケズケと物を言う私の家族にちょっぴりイジられながらも、まんざらでもない感じで幸せオーラを放つKくん。
そしてそれから一年ちょっと経った昨日。
私は息子の七五三をすっかり忘れてしまっていて予約もろもろ出遅れてしまって焦っていた。旦那さんが「Kくんにお願いしてみる?」とひらめいて、頼んでみたら引き受けてくれた。12月12日という季節外れの日に親戚が集まり七五三のお祝いをすることになった。
お寺に着くと、Kくんは光沢のあるまっ黄色の衣装で出迎えてくれた。おそらく七五三の祈祷用の衣装なんだろう。そのキラキラした感じに、私はなんだか友達の何かの発表会が始まる前に、楽屋へ挨拶に行くときのような気分になってしまって、「今日はがんばってね」と心の中でつぶやいた。
Kくんは、ほら貝を吹いたり太鼓をたたいたり、経本を頭の上でパラパラパラっと華やかにめくったりするパフォーマンスをしながら、お経を詠んでいた。
今日のお経は、まるでエンターテイメントだ。お経を聞くのを楽しいなんて思ったことはなかったけれど、今日のお経は楽しくてあっという間だった。
お経のあと、「ほら貝、重たそうだねぇ」とか「めっちゃ練習した?」とか「あの経本パラパラするやつ、むずかしそう!」とか、親戚みんながKくんに気軽に声をかけた。
最後に親戚全員で集合写真を撮って、そのあとにKくんも交えて集合写真をとった。
今まで私はお坊さんに対して「この世とあの世の真ん中にいる崇高な人」というイメージを持っていた。私だけじゃなくて、きっとみんなそんな感じだろうと思う。そんな気楽におしゃべりできるようなお坊さんは今まではいなかった。
だから法事やお盆にお坊さんと接するときは、なんだかみんながちょっとだけ固くなっている雰囲気があったけれど、Kくんにお経を頼むようになってからはみんな肩の力が抜けている。
そろそろお開きかな、というときにKくんは自分のスマホを取り出して、
「僕も記念に・・・」と言って、旦那さんと息子と3人で写真を撮ってもらっていたのも、なんだかすごく良かった。
Kくんにあらかじめ祈祷料は5000円だときいていたので、5000円を包んでいたのを渡して、お開きになった。
それを見ていた私の両親は
「今日の祈祷は5000円以上の価値があったから、次のお盆の時はいつもより多めに包もうか!」と話していた。
そう感じるくらい、季節外れの七五三で貸し切りだったのもよかったし、Kくんの想像以上のパフォーマンス(?)を楽しませてもらったし、みんながリラックスしていて心がほっこり温まった。
Kくんのおかげで、本当に本当に素敵な七五三を過ごすことができた。
***
そんなこんなで、
私はKくんから大切なことを感じさせてもらったような気がする。
たとえば、すごく有名でベテランでお経が上手で、声が綺麗で、話が上手で、おまけにイケメン(?)のお坊さんがいたとする。
そんなお坊さんが仮に、Kくんよりも安い祈祷料でお経を詠みますよ〜と言ってきてくれたとしても、私たちはきっとKくんにお経をお願いすると思うのだ。
どんなにお経がすばらしいかとか
どんなに魅力のある人なのかよりも
「Kくんにお経を詠んでもらう」ということに、私たちは価値を感じるということだ。
それは私たちが紡いできた
Kくんとの「縁」とか「繋がり」とか
Kくんと私たちの間にある「物語」とかが
何よりも大切なものだからなんだと思う。
直接関わったことのない
「魅力的ですごい人」よりも
思い出を共有している「身近な人」の方が
心が温まるということに、私たちは気づきはじめているのかもしれない。
だって私の青春時代には、誰もが浜崎あゆみの曲を聞いていて、そのあとには誰もが倖田來未の曲を聞いていた。
でも今は、みんなそれぞれいろんな人を「推して」いる。カリスマ感が溢れすぎていない親近感の湧くAKBは人気だし、握手したりちょっぴり会話したりするくらいなら簡単にできてしまう地下アイドルを応援したり、好きなYouTuberさんのライブに参加してコメントしたりオフ会に参加したりして交流する。
もう私たちは「すごい人」を求めていないのかもしれない。
自分の周りにいる「自分より得意なことを持っている応援したい人」と関わり合って助けてもらったり、自分もまた得意なことで助けたりしながら、お互いが「ちょっぴり役に立ててうれしい」という気持ちを持てていること。
それがあれば、きっと十二分に幸せに生きていけるような気がするし、お金もうまく循環していくような気がする。
この感覚は、これから自分で仕事をやっていきたいと思っている私には、大きな発見だった。
「すごい人」にならなくてもいいんだ。
「1番」にならなくてもいいんだ。
「完璧」じゃなくてもいいんだ。
「繋がり」のある身近な人に
自分が得意なことを知ってもらって
必要としていれば役に立たせてもらう。
そのくらい気楽な気持ちでやっていけば
道は自然と拡がっていくような気がして
なんだか肩の力がストンと抜けた。
ちょっぴり不器用ながらも
今目の前にあることを一生懸命やって
今目の前にいる人を大切にして
コツコツ拡げながら生きているKくんに
そんなようなことを感じさせてもらった
2020年12月12日。
いち、に、いち、に、いち、に・・・
私も負けずにコツコツと、
今目の前にあることを一生懸命やろう。
今目の前にいる人と楽しもう。
もうすぐ2021年。
良い年になりそうだ。
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