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何か大きな流れに乗っているという感覚

鳥取県を西をさらに進んだ。そして、神話の里白兎という名の道の駅に来た。なんとなく、ここに来ることが正しいことのように思えた。旅を始めてからは、この「なんとなく」の連続だ。しかし、この「なんとなく」という曖昧な直感を大切にしはじめたときから、「何か大きな流れに乗っているという感覚」が生まれ始めた。

この何か大きな流れに乗っている感覚というのは、言い換えれば「何か大きなものに守られている感覚」とも似ている。ちっぽけな一人の人間であった私が、この宇宙の一部として、循環しているような感覚になる。自分の力で生きているのではなく、もっと大きな力に動かされているような感覚になる。

きっとこの感覚を大切に生きている人は、旅しているか、していないかにかかわらず、一定数いると思う。目の前に転がってきた偶然や出会いに飛びつくと、なぜか人生が動いていく。


今朝この道の駅で、名もなき旅人ヒッチハイカーに出逢った。彼にコーヒーを飲みにおいでよと軽バンに誘い、話をしていると7年間も旅をしているらしい。彼は驚いている私に、わらびの醬油漬けを差し出し、私が「これどうしたのですか?」と尋ねると、その辺に生えてたのを摘んで、自分で作ったといった。これには、さらに驚いた。

7年も旅をしている彼の荷物は驚くほど少なく、また彼のボロボロな格好も、彼の身体の一部であるかのように、すべてが様になっていた。人にとって本当に似合う服装というのは、身体の一部に見えるくらい馴染んでいるものなのかもしれない。


私は彼から、三朝温泉に行けとメッセージを受け取った。三朝温泉には、無料で、混浴で、通りすがりの通行客からも丸見えな露天風呂があるという。混浴とは言っても、外から丸見えな露天風呂だから、女性はほとんどいないらしい。少し残念に思いながら、旅に出て一週間、一度も湯船に浸かっていなかったので、そこに向かうことにした。

三朝温泉は、噂通り、外から丸見えだった。しかし、恥かしいという感情はなぜか生まれてこなかった。露天に行くと、おっちゃんが4人いた。ちょうど私が入ろうとするのと同じタイミングで、もう一人おっちゃんがきた。

私は、そのもう一人のおっちゃんと同じように、湯船に浸かる前に、身体を流した。そしておっちゃんと同じように、湯船に浸かった。どうやらこのおっちゃん達は、地元の顔見知りらしい。楽しそうに、世間話をしている。そのうちの一人と目があったけれど、あまりにも温泉が気持ちよく、開放的な景色にも心を奪われ、すぐに自分の世界に入り浸った。

太陽がちらつき、半そででも少し暑いくらいの日差しだったけれど、一週間も湯船に浸かっていないと、深部体温は下がっていたようで、温泉が気持ちよく自分の深くまで染みてくるのが分かった。


しばらく目を閉じていると、さっき一度目を合わせたおっちゃんが、「若者よ、静かじゃないか」と声をかけてきた。私は「温泉を味わっていたんですよ」と返事をしながら、このおっちゃんとは目があったときから、出逢うべくして出逢ったのだと感じていた。

おっちゃんは、自分は還暦だといったが、国内外の旅と山が好きで、キリマンジャロを登頂したこともあるらしい。腹が出ていたから、似合わないなと思ったけれど、確かに顔からは旅人の風格が漂っていた。

これからさらに西に行くと伝えると、だったら足立美術館に行けと言われた。そこがとても美しく、おっちゃんは10回くらい訪れているらしい。それを聞いて、次の目的地が決まった。

1つ1つ何かが繋がっていく。これから旅はどう転がっていくのか。









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