幸せなエネルギーをいただく。
広島の離島は大崎上島の、神峰山の頂付近にいる。今日はここで夜を迎えることにした。レタス3枚と、豆腐半丁、それから食パン1枚をオリーブオイルと塩でいただいた。
旅をはじめてから、食べる量は一気に減った。1日、1食か2食、間食はナッツを4,5つ程度いただくだけ。少し口にするだけで、心は満足してくれるので、食べすぎることはなくなった。日中は運動もしているので、身体をずっと休めさせているわけではない。
旅をしながら限られたお金をどう使うか考える。そして生きるために必要な食事は、今の私の経済活動の中心をしめるといってもいい。どんな形でお金を使うことが、もっとも幸せになれるのか。いわゆるコスパというものを考える。
ただ、私にとってのパフォーマンスは、「いかに空腹を満たせるか」でも「いかに栄養を偏りなく摂取できるか」でもない。量や質ではない、「いかに幸せなエネルギーを得られるか」を考える。
エネルギーというと、少々スピリチュアルに聞こえるかもしれない。簡単に言うならば、「食べた後に元気が出るもの」ということだ。例えば、誰かの愛情のこもった手料理は食べた後に元気が出る。一方で、甘いものを爆食いしたり、塩分や油の濃いものをたくさん摂れば、胃が重くなり、気分も悪くなる。
こういった見えないものは、つい勘定から外されがちだけれど、実はこれが一番大切なことだと私は思う。以前、友人と冬に滝行を行うために、近場で野宿をし、朝卵焼きを焼いて食べたことがある。面白いことに、その卵焼きは、ここ10年で食べたものの中でも、1位2位を争うくらい、衝撃的に美味しかった。そしてたった卵1つだけで、心が満足してしまったのだった。
きっとこういう経験をした人は多いと思う。大金をはたいて高いものを食べたとき、客観的な側面での品質は高いのだけれど、主観的な側面では必ずしも相当な幸福感を得られるとは限らない。
誰かの愛情のこもった手料理が美味しいのは、その人の愛情(エネルギー)をいただけるからで、再会した友との食事がうまいのも、友情(エネルギー)を一緒にいただいているから。
食べた後に、元気になるか否か、どれだけエネルギーを摂取できるか、その観点を持つのが幸せの道を歩むことにつながっていく。
滝行をした友人と話をしながら、彼は鶏を飼っていて、その卵がとても美味しいといっていた。愛情を注いで育て、そのお返しとして、卵を受け取る。厳密にいえば、エサ代などはかかっているのだけれど、直接お金のやり取りをしないという点で、これこそプライスレスだね!と話し合った。
食事は感謝していただきましょうと何度か聞いたことがあったのだけれど、それはエネルギーを最も得やすい姿勢なのだと分かる。愛情のこもったシチューも、怒りながら食べたら、美味しくないように。
目の前の食べ物が、大地の恵み、天の恵み、自然の恵み、それから人様の苦労の末にあることに気づいて、今日も美味しくいただきましょう。
*写真はいつの日か、炊飯器にお米と一緒に、人参のすり下ろしと鳥の胸肉をいれて作ったものです。素材を美味しくいただけるお手軽なレシピがありましたら、ぜひ教えてください!
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