元気でいることが仕事
2021年5月16日午前5時。
雨が車体を打ち付ける音、風が唸り草木を揺らす音で目が覚めた。旅立った早々に、これからしばらくは雨模様が続くと聞いて、少し気が滅入ってしまった。
そんな中、準備してきたカッパを着て、外を散歩した。
琵琶湖。欲をいえば、やっぱり朝日を拝みたい。朝焼けに染まる空を拝みたい。早起きして見る空は、気持ちの良い湯船に似ている。湯船に浸かる前は入ることが面倒に思えるけれど、湯船につかった瞬間は「入ってよかった」と絶対に後悔しない。早起きして朝の空を眺めると得した気持ちになる。湯船が1日頑張った自分を労ってくれるのだとしたら、朝の空は、1日の自分に元気を与えてくれる。
しかし、当分は青空を拝めそうにない。空が大好きな私にとっては、中々の打撃だ。早く顔を見せてくれ!太陽よ!
生活の基盤に何を置くかで、生き方というものは随分と変わってしまう。鬱で引きこもっていた頃は、虚を埋めるために、1日中スマホを眺めて生活していた。スマホが人生であり、食事や睡眠、その他のすべてのことは、スマホのおまけになった。
旅をしながら動画を投稿していた時は、動画映えばかりを気にして、(他人にどう見られるかばかりを気にして)、目の前の美しい景色や、人の出会いに感動できなかった。
そんな教訓から、今は、世界と繋がることを基盤にする。自分の足で地べたを踏みしめて歩く感覚。運動をして、心臓を動かす感覚。草木が風で揺れるありのままをじっと見つめる感覚。地球と繋がっているのは自分だから、自分と繋がらないと地球と繋がれないことが今分かる。
つい自分に次々と課題を課してしまう。あれをしろ、これをしろと。そんな命令が自分の気づかないところで出されていて、勝手に疲れてしまう。
鬱気を晴らそうと、田んぼ道を散歩していると、カタツムリに出逢った。少しずつ少しずつ、アスファルトの上を進んでいくカタツムリを見ながら、「元気になること」「元気でいること」以外に、本当にやらなきゃいけないことなんてあるのだろうか、と思った。
今回の旅に目的があるとすれば、元気になること。元気になれば、正直勝手に人生は進んでいく。
急がず、急かさず。