幸せは、待っている。
猿がいる。それも1匹や2匹ではなく、10匹や20匹のレベルで。そんな中をランニングしながら、昨晩のことを思い出していた。
人気のない公園の駐車場に車をとめ、人に会わないまま3日目を終えようと日記を書いていたら、友がやってきた。僅か5分前に突然電話がかかってきて、会いに来てくれるという。彼の名はケンという。
私はケンの顔を見るなり、嬉しさと興奮のあまり、大声で名前を叫び、雨に濡れるもお構いなしに抱き着いてしまった。孤独からの解放。長い長い緊張からの解放。3日ぶりに誰かと心の繋がる感覚は、孤独の真っただ中にいた私に大きな安堵をもたらしてくれた。
ケンは私に焼肉をご馳走してくれた。肉を焼きながら、ケンは私に問うた。「旅の目的はなんだ」と。それを答えるのは、少し時間がかかった。つい昨日、「元気になること」「元気でいること」それこそが旅の目的だと思っていた(昨日の投稿)のだけれど、何か足りないものがあると感じていた。
改めて熟考し「魂の成長」だとケンに答えた。孤独に潰されそうになることも、人との出逢いに感動することも、1つの地に安住せず歩みを進めることも、うまくいかないことを受け入れていくことも、すべてが目的であり、すべてを総称して最終的に魂の成長を指すのだと思ったのだった。元気でいることも大事だけれど、元気がでないときも当然ある。しかし、それでいいのだ。緊張と緩和。陰と陽。そのどちらもが魂の栄養に不可欠なものだと私は思う。
ケンに焼肉をご馳走になった後、別れ際に、ピアノの演奏を聴いてもらった。とても幸せだった。孤独の真っただ中にいるときは、死ぬまでずっと一人ぼっちじゃないかと感じてしまうのだけれど、きっとそんなことはないのだと思った。長い長い孤独の先には、必ず大きな何かがある。大きく大きく膨れ上がってゆく何かが。