鬱からはじめて外に出た日
父と母と別れる時、涙をこらえることに必死で、ありがとうと言えなかった。今思い出してみれば、鬱になり苦しんでいる私を見て、一番苦しかったのは、父と母だろう。父と母はいつも変わらない元気な姿を見せてくれていた。それにどれほど救われたことだろう。
人生に絶望し、死を思い浮かべていたとき、こうして外に出られる日がくるなんて夢にも思っていなかった。両足で地面をつかみ、一人、琵琶湖の風を感じられる今が、とても夢のようだ。
先行きの明るい未来がまったく見えなかった。それが変わったのかと言われれば、決してそうではない。しかし、自分の中に「力」を感じられるようにはなった。孤独を突き進んでゆく力、人に優しくする力、自分を律する力、前を向き空を見上げる力。どこへ行くのかも分からないまま、今を生きようとする力。
もう一度、人生がはじまる。父と母に協力してもらいながら、自分の手で作った軽バンで。この命を大切に生きよう。
涙が止まらない。一人になったとたん、ぽっかりと空いた心の穴。それがとてもとても大きくて、父と母から受けとっていた愛がどれほど大きなものだったのか、身に染みる。鬱で引きこもっていた1年の月日は、苦しく、孤独で惨めだったものではない。大きな大きな愛に、支えられていたものだったのだ。
小麦畑が広がる道を、長いこと歩いた。やることは本を読み、ピアノを弾くくらいしかないと思っていたのだけれど、こうして知らない土地に来ると、つい歩きたくなる。涙が流れるだけ流れたこともあって、曇天の空とは対象に心は晴れ晴れとしていた。
歩きながら、こんな言葉が浮かんできた。
「一人で生きるには辛すぎるから、どうか私と生きてください。
一人で生きるには退屈すぎるから、どうか私と笑ってください。
生きる意味なんて分からないから、どうか私と幸せになってください。」
旅はつづく。