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ある親友の話

定期的に私のnoteを見て下さってる皆様、いつもありがとうございます。

皆様なら僕のサッカー選手としてのモチベーションを知ってるいる方が多いと思います。

実際公言してるのは、
・地位、名誉を手に入れたい
・大きな富を築きたい
・もっとモテたい

素直に話すとこの三つの大きな欲求があります。
勿論、もっと細かく話すとどの様な地位、名誉なのか、どの位の富なのか、話すと長くなるので大きくこの三つを抑えてもらえれば構いません。

しかし、今日はこの三つ以外の1番大事と言っても過言ではないモチベーションの保ち方を知って欲しくnoteを書きました。

*今回のnoteはモチベーション保ち術の様な事ではありません。

さて、本題に入りましょう。

結論から言いますと、家族や友人、知人からの応援メッセージや電話などが1番モチベーションが上がる訳です。

その中でも今回はある1人の友人を紹介したいと思います。

*この話は本人の許可をとっている実話です。

彼の名前はY君。
地元の少年団チームで出会い、今では年に1回その少年団チームでソサイチに出るのが楽しみにしている仲です。
ソサイチ自体が楽しみなのもそうですが、打ち上げがメインになっている会です。
皆んなで集まれる事が少ないので朝まで遊ぶ事が多いですが、去年の夏前、私がマルタから一時帰国した時、毎年の様にソサイチ&打ち上げをしました。
僕は全くお酒がダメなのでジュースで酔っているとY君も酔ってきてお互い昔話を始めました。
実はY君、小学生の頃にフリスビーで遊んでいた時、それが目に当たり、数年のリハビリと復帰後もゴーグルが必要でサッカーを続けていました。
彼は順調にサッカーを続けていたものの、高校サッカーを途中で辞める事になってしまった。
理由はいくつかあるけど大きな理由は「夜になると周りが見えなくて皆んなに迷惑かけるから」
彼らしい配慮で彼は本気のサッカーをそこで終えた。
そう、僕は彼が目を怪我をして視力が下がっただけだと思っていた。
周りの皆んなは知っていたけど私だけその帰国の時に気付いた。彼は失明していた。
正直言葉が出なかった。
だって普通にサッカーしてるやん、車運転してるやん、歩けてるやん、なにも私生活に支障ないやん、めっちゃ明るく俺に振る舞うやん。
自分自身をとても恥ずる気持ちがあった。
彼は失明してから復帰するまでのリハビリをとても努力していたのだ。
復帰してからずっと怪我する前と変わらないY君。変わったのはメガネとゴーグルが必要なだけ。
自分がとても鈍感でとても悲しい気持ちになった。

なのにY君は明るく「朋也の活躍めっちゃおもろいよな!まさか朋也が海外でプロになると思わなかった!俺の分まで夢見させてや!」

そう、私は中途半端なプレーでくたばってはいけないのだ。
俺が点を決めれば素直に喜んでくれる人達の為にも簡単に諦める訳にはいかない。
実際海外でプロとして生活するのは一般の人が抱える責任とは全く違う重荷があると思う。
結果を出さないと次の日の生活が保証されないからだ。
だから自分自身に負けそうになる時なんて沢山ある。日本に帰りたい時なんて沢山ある。

でもそんな時いつも皆んなの応援を思い出す。
特にY君の応援は本当に痺れるものがある。

生きてる事は当たり前じゃない。
生きている内に自分の生き方を証明する人がある。

だからいつも皆んなありがとう。
皆んなの応援、笑顔で俺はまた一歩前進する事が出来る

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