オウム真理教の精神史 / 太田俊寛

オウム真理教をロマン主義、全体主義、原理主義の3つの思想史的観点から読み解く本。

著者は宗教学者でこの本以前にグノーシス主義について単著がある。

本書はオウム真理教の思想が、先行する各種思想からどのような影響を受けつつ形成されてきたかを、ロマン主義、全体主義、原理主義という3つの観点を軸に分析している。

オウムはその教義が仏教から影響を受けていることを様々なメディアで言明しており、またヨガの教室として活動をスタートさせたことから、東洋宗教的なパブリックイメージを持つが、それだけに留まらず、オウムに及ぶ西洋宗教や通俗的なオカルトの影響、近代社会の性質などが腑分けされていく点が本書の1番面白いポイントだと思う。

1.先行研究との相違点

オウム真理教については、引き起こした事件の社会的なインパクトの強さもあり、既に先行してオウムを扱った本が多数出版されている。

オウム本の中には、学問的な著作も含まれるが、これらの本によってオウム真理教が充分に分析されたかという問いに対する著者の答えは否であり、先行するオウム本の分析が不充分であること、著者の専門である宗教学がオウム真理教を充分に分析・整理しきれていないという実感が、本書の執筆動機のようだ。

本書の冒頭では、先行研究をいくつか取り上げて、著者がどういった点でそこで行われた分析が不十分と考えるのかを述べている。

本書で批判的に言及される論者の名前を挙げると以下の通り。

中沢新一、宮台真司、大澤真幸、島薗進、島田裕巳。

論評を大雑把にまとめると、オウム真理教を分析するにあたり70年代から80年代、高度経済成長を達成した日本社会が抱える問題に全ての原因を求めようとする視野が狭いタイプの論評と、仏教史全体から捉えようとする視野が広すぎるタイプの論評に大別され、いずれも十全な分析になっていないと著者は考えているようだ。

著者はオウムを近代宗教の特質を備えたカルトであり、その教義の由来を、近代化の過程でヨーロッパに発生した各種の思想、ロマン主義、全体主義、原理主義の結合結果として位置付け、近代から現代に続く思想史の中でオウムが平成の日本に出現した理由を明らかにしようと試みている。

以下、個人的に面白いと思ったポイントを章ごとにまとめる。

2.オウム真理教へのキリスト教の影響

オウム真理教が仏教やヒンドゥー教に影響を受けていることは明白だが、キリスト教の影響も大きく反映されていること、またヨーロッパ社会が近代的な社会を構築していく中で「宗教」の社会的な位置づけの変化も、オウム真理教を宗教史の観点から捉える場合に、重要なポイントであることが解説される。

3.ロマン主義について

アマゾンレビュアーkongonilさんも書いているように、ロマン主義の思想史的に簡便なまとめになっていて、言葉としては知っていても中身がわかっていなかったロマン主義が具体的にどのようなものかということがよくわかった。

先のAmazonのレビューでも述べているように『「啓蒙vsロマン」というバトルは、「近代宗教」以外の様々なフィールドで、今も戦闘継続中』で、例えば現代芸術のフィールドにおいてもロマン主義の影響を強く感じさせる作品やテキストに出会うことも多い。

全体を概観してくれるわかりやすいまとめ。

4.全体主義について

全体主義の章では、現代人が抱えるうち捨てられた感覚、社会において取り替え可能な部品としての自分という感覚と全体主義の結びつきと、オウムにおいての麻原彰晃を絶対のカリスマとして集団が暴走していった点に絡めて語られているが、この章の議論も宗教という範囲に留まらない普遍的なもので、全ての人が平等で自由であること、その辛さは創作物でもたまに出てくるテーマだ。(人は常に自由から目覚めようとしてしまうという話が出てきたのは、映画のマトリックスだっけ?)

実際、自由で平等というのは大変だ。

5.原理主義について

オウムは仏教の教団であることを自称していたが、オウムが公刊した書籍には仏教に依拠した著作はそれほど多くない。むしろ、キリスト教の黙示録やノストラダムスの予言などを取り扱った書籍が、年を経るごとに目立つようになっていく。オウムの活動は終末思想の影響を強く受けており、その点で実はキリスト教原理主義に連なると言える。

終末論が広く認知されたことは、オウムのリアリティの源泉になった。

6.まとめ

本書は、オウム真理教を現代社会が抱える歪みから必然的に発生した事象と位置づける。オウムが関わった事件では、高度な教育を受け、職業的にも高度な専門職に携わっていた人たちが中心的な位置を占めていたことが衝撃を持って受け止められた。

一宗教団体が、サリンなどの化学兵器製造する知識や技術と、大量生産を可能にする資金力を持ち、異様な妄想に駆られてテロ行為を行うという事件の衝撃、社会の動揺は、事件当時まだ子どもだった自分でも憶えている。

新興宗教とテロの問題を、日本の社会は、一部の変わった思想に影響された人たちが偶発的に起こしたバグのようなものと捉えて処理したように思える。オウムの事件以後、新興宗教の設立が難しくなったと聞くが、著者が言うように、オウム真理教が関わる一連の事件が、現代社会におけるある種の必然性を伴っているとしたら、新興宗教への規制強化は本質的な解決には繋がらず、今後も同様の事件が高い確率で発生する危険は変わっていないのではないか?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?