(親不孝)娘が見舞いに来る
八月二十二日(月)福留
娘が突然見舞いに来た。
入院以来だったので思わず「何の用だ」と言ってしまった。
「何の用だって、ただのお見舞いよ」
「そうか。見舞いの品は」
「お父さん糖尿でしょ、甘いものダメだからお煎餅」
「煎餅は食わん」
「年なんだから歯は使った方がいいわよ。ボケ防止にも噛むのがいいんだって」
「わしはまだボケとらん、下らんことを言いに来たなら帰れ」
「冗談よ。この間もうちのお父さんは大丈夫ねって母さんと言ってたんだから。裕太にもちゃんとお説教してくれて。あの子、電話切った後も一時間もわんわん泣いて大変だったのよ。おじいちゃんが死ぬのは嫌だって」
「元気なのか」
「元気よ。怪我させた友達とも仲直りして、また遊んでるみたい」
「そうか」
「ごめんね、本当は連れて来たいんだけど。子どもだし、うつったらあれだから。裕太もおじいちゃんに会いたいって言ってたんだけど」
「そんなことより、自分の子どもぐらい、自分で説教しろ」
「女親じゃだめなこともあるのよ。それにさ、おじいちゃんが言う方が含蓄あっていいじゃない」
福留さん、福留勇美さん。
そこで院内放送で私の名前が呼ばれた。そう言えば午後から検査だと言われていた。
「そうだ、これから検査だ。お前も帰れ」
「何よその言い方。娘がたまに来たっていうのに」
「旦那にもたまには顔を出せと言え」
「え、お父さん、あの人のこと嫌いなんじゃないの」
「そういう問題じゃない。舅が入院してるんだから見舞いに来るのは当たり前だろう」
「そうなんだ。じゃあお父さんがそう言ってたって伝えるわ。あの人、嫌われてるって思ってるから、きっと喜ぶわよ」
そうなのか、初めて知った。憎まれ口を利いている内にそう思ったのか。
「お父さん、ありがとね」
病室を出ていく際、娘が振り返ってそう言った。確か成人式の日も、同じように言われたのだった。振袖を着て、家を出る時に、思い出したようにふいに「ありがとう」と。
その晩、裕太が嫁さんを連れて挨拶に来る夢を見た。目が覚めて、いくら何でも早計だな、しかし自分はその頃まで生きているだろうか、と考えた。
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