突然「今日から入院」と言われる(初日)

 カルテを見ながら、ああ、だめだねと冷たい声で医者は言った。

 「あなたね、今日から入院」

 喉の奥にかかる液体麻酔に何度も吐きそうになった内視鏡検査の結果、微量だが僕の肺から結核菌が見つかった。らしい。

 「入院ですか」

 「そう」

 「分かりました。ちょっと妻と相談します」

 「相談って、保険の勧誘じゃないんだよ。結核の人は入院。法律で決まってるの」

 「でも、しばらく会っていなし。いきなり入院なんて言ったら驚くと思うので」

 「別居してるの」

 医師がカルテから顔を上げ、僕の肺のレントゲン写真に尋ねた。

 「いや、そうじゃないけど。お互い仕事で」

 「そう。まあ夫婦もそれぞれだからいいけどさ。ちょっとシマタニさん、病室空いてるよね。僕は外来で、入院の先生は他にいますから。一度病棟に行って、入院の手続きしてね。家に帰るのはそれから」

 狐顔の医者は最後まで僕の目を見なかった。背後から現れたいかにもベテランの看護婦が「こちらです」と僕のバックを持って行ってしまう。仕方なくイスから立ち上がり、後に続く。

 病院というより朽ち果てた研究所のような院内は暗く、薄汚い。人生初の入院をここでするのかと思うと高波のような不安が押し寄せる。
 右手にずらりと並んだ内科などの診察室を横目に進むと、突き当りに自動ドアがあり、一旦外に出てまた建物へ入ると、内視鏡検査を受けた「処置室」があった。その処置室前のエレベーターの前で看護婦が止まり、ボタンを押す。
 案内表示によると、二三階が結核病棟とある。エレベーターのドアが開き、車いすの老婆が出るのを見送る。中は貨物なども運べそうなほど大きく、かすかに生ゴミの臭いがした。
 看護婦は二階で降りてすぐ目の前のナースステーションの向かい、「面談室」に入る。室内には長机を挟んでパイプ椅子が向き合っている。「どうぞ」と言われ奥に座ると、看護婦が持っていた書類を広げた。

 「じゃあね、保健所に提出する書類とか色々あるんだけど。まずはこれ書いちゃって」

 病院の名前が入った、ボールペンと入院の申込用紙を渡される。書いちゃって、の発音が変だ。氏名、住所、生年月日まで書いたところで手が止まる。退職願は入院中の早い時期に受理されるだろう。それまでは在職ということでいいか、それとも今から無職と書くか。

 「どうしたの」

 「いや、仕事。今ちょっと休んでるから」

 「何してたの」

 「実業団の運動部」

 「バレーか何か」

 「バスケです」

 「へえ、すごいね」

 とりあえず「会社員」と書いて先に進む。運動選手だって給料をもらっている以上は会社員だ。書き終えて渡す。

 「今までにお薬でアレルギー出たことはありますか」

 「ありません」

 「手術とか、何か大きな病気をしたことありますか」

 「ありません」

 「よし。じゃあ採血して、身長と体重計って。一回家に帰るんだっけ」

 「ええ、着替えもないし」

 「お昼までに戻って来れるかな。お昼食べたあとにお薬が出るんだけど」

 「お昼、何時ですか」

 「十二時」腕時計を見て答える。「難しいと思います」

 「あそう。じゃあ晩までに来て。晩ご飯は六時ね、来たら声かけてね」

 薬品か何かの染みがついた制服の胸に「篠原」と名札が付いていた。その名を胸に刻み、面談室を出る。ナースステーションに入って行く篠原を見送り、エレベーターのボタンを押した。このまま家に帰り、二度と戻らないのもありか。入院拒否、断固。

 「何かあったら携帯に電話すればいいね」

 見透かされた気がして振り返ると、篠原看護婦が笑顔で手を振っていた。

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